不耕起田の手植え

⑥「手仕事」

月に1度、ほんの数ページの、このエッセイを書くのが、
密かな楽しみとなっていましたが、
今月は、本当に、ほんとうに、PCに向かう時間がもとれない日々で・・・。
あっという間に、月末になってしまいました。

田植えも終わり、何にそんなに忙しかったのかと言えば、  

草取り、草取り、草取り。 

そして、

梅、梅、、梅・・・。

田んぼは、田植えが終わった瞬間から、草とのお付き合いが始まります。
稲が、草に負けないように、
除草剤を使わずに、お米を育てるために、
田んぼの中を這うようにして、手で稲株の周りの土をかき混ぜて除草を行います。
2時間もこれをやっていると、脚も腰も怠く重くなり、3時間もやれば、もう、パンパンです。

畑も、いい具合に雨が降り、陽が照り、を繰り返すこの季節は、目を見張る程の勢いで、 グン、グン、グンと草がのびのび、伸び放題。
なので、ひたすた鎌で刈り、抑草と保水のために作物の株元に刈った草を敷いてきます。
こちらも、延々としゃがんだ姿勢でカニ歩きしながら、2時間もやれば、腿もふくらはぎも怠く重くなります。

梅しごと


更に、6月は「梅しごと」の季節でもあります。
青梅を摺って、布で漉して、土鍋で煮詰めて作る「梅エキス」作りに始まり、
梅酒、梅シロップ、
そして、梅干し用の梅の塩漬けを、今年は45kgほど漬けました。
全て、梅を収穫するところからやり、洗って、水に晒した後、一粒一粒、布巾で水気をふき取りながら、ヘタや汚れを取り、それぞれの用途に使用します。
これも、何時間もチマチマと、同じことの繰り返しです。

どれも、とても、とても、単純で、でも身体的にはしんどい仕事です。
わざわざ、好んでやるような人は、あまりいないのかもしれません。
とても、原始的でアナログな方法です。
知識も資格も必要なく、大学で学んだことなど何の役にも立ちません。

でも、
それでも、

私たちにとっては、
とても、とても、
大切で、貴重な時間です。

ひたすらに、身体を酷使しながら、同じ作業を繰り返す。

はじめは、色んな事を考えます。
色んなことが、頭の中をよぎります。
どうでもいい過去の思い出や、子育てのこと、パートナーのこと、地域のこと、親姉妹のこと、お金のこと、自然のこと、食べ物のこと、音楽のこと、
一つのことに、留まり考え込むことはなく、
ありとあらゆることが、浮かんでは消え、浮かんでは消え・・・。

やがて、頭の芯が、シンと静まり、辺縁では色んなことが、浮かんだり消えたりしつつも、 耳には、水の音、風の音、鳥の声、虫の声、自分の息遣い、だけが響き、 無になったような感覚がやってきます。

まるで、瞑想しているような、そんな感覚です。

梅エキス作り

「手仕事」と言われるものは、
もしかした、大体のものが、同じような感覚をもたらしてくれるものなのかもしれません。

現代社会は、
科学技術の進歩により「手」を使う仕事が、昔の暮らしに比べると随分少なくなり、時間も節約できるようになりました。
便利で有り難い世の中になったのだと、ずっと、ずっと、思っていました。


しかし、今、
こうして、時間のかかる手仕事をやるようになり、

確かに、効率は良くないし、身体もしんどいし、時間もどれだけあっても足りないし、

でも、
お金では買えない何か、
時間を節約することよりも、もっと大事な時間、
単に、安全で安心な食べ物を作り出せるということだけではなく、
その、無駄に思える「時間そのもの」が、
かけがえのない、何か、とても、とても大切なモノだったのではないのかな、と感じています。

「手仕事」を、暮らしの中に、少しずつ取り戻すことで、
お金では買えない、豊かさを、感じられるようになるのかもしれません。



shima-nobu-hikari★著
http://shimahikari.jp/