「夫婦別姓」最高裁判決の家族観を問う   
  なぜ、立法化は挫折したのか    
    大脇雅子 著   
『象』第84号 2016年春(発行:グループ・象/2016年3月30日)より転載
 
筆者は、一九九二年(平成四年)七月二九日、社会党・護憲共同(当時)の比例区代表の参議院議員となり、その後社会民主党を経て、無所属となり、二〇〇四年(平成一六年)七月二八日まで、二期一二年、国会において立法と法案審議等にかかわってきた。風化しつつある当時の「記憶」を記録しながら、現在に連なるいくつかの政治課題を問う。

一、夫婦別姓最高裁判決の概況とその批判 
(1)「夫婦同氏の原則」を違憲として 
 二〇一五年(平成二七年)一二月一六日最高裁大法廷は、「夫婦別姓」訴訟に対して、民法七五〇条「夫婦同氏の原則」を合憲と判断して、長い間「選択的夫婦別姓」の実現に向けて、民法と戸籍法の改正を求めてきた多くの女性たちを落胆に追い込んだ。
 上告人のうち三人は、結婚して夫の氏を名乗ったが、社会生活上元の自分の氏を通称として使用していた。上告人二人は、婚姻の際夫の氏を名乗ったが、協議離婚をして、再度婚姻届を提出したが、婚姻後の氏が選択されていないとして不受理となった。上告人らは、「氏」は社会的に個人を他人と識別する機能を有し、人格権の象徴であるから、民法七五〇条の規定は、「氏の変更を強制されない自由」を侵害し、憲法一三条の人格権の規定に反すること、また婚姻の際夫の氏を称する女性が九六%を占めている現実は、女性に不利益を負わせていて、憲法一四条の男女平等の規定に反すること、夫婦同氏でなければ婚姻届を受理されないことは、「婚姻の自由」を侵害して、憲法二四条一項及び二項に定める婚姻に関する個人の尊厳と本質的平等の原則に反すると主張して、国が「選択的夫婦別姓」の立法措置を取らない(立法不作為)ことを理由に国家賠償法に基づき損害賠償を求めた。

(2)最高裁判所大法廷の多数意見 
 最高裁大法廷は、「氏は家族の呼称としての意義」があり、「家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位であるから…ひとつに定めることに合理性があると認められる」と判示し、婚姻の重要な効果として夫婦間の子が夫婦の共同親権に服する嫡出子となることを示すために両親と同氏である仕組みを確保することに意義がある。・・・同氏は家族の一員であることを「実感」できる、として上告人の訴えを棄却した。判決は、人格権としての氏を否定し、嫡出子を中心に「家族」をとらえて、離婚夫婦や未婚の母または父の子ども(婚外子)の存在を排除する古い家族観に立脚している点で、時代に逆行している。
 もっとも判決の多数意見は、氏を改める者にとって、「アイデンティティーの喪失感」や「従前の氏を使用する中で形成されてきた他人から識別し特定される機能が阻害される不利益や個人の信用、評価、名誉感情等に影響が及ぶ不利益」は容易にうかがえるとして、選択的夫婦別姓制度は、婚姻および家族の法制度に関する立法を検討するにあたって考慮すべき「人格的利益」と認めている。さらに婚姻する夫婦の九六%が夫の氏を選択している事情に対しても、選択の自由の結果か否かに留意して、「差別的な意識や慣習による影響があるとするならば実質的平等は保たれるよう立法上考慮すべき事項」とした。加えて通称使用が社会において広まることによって、夫婦同氏による不利益は「ある程度は緩和されうる」として、民法七五〇条は、憲法二四条に違反して婚姻の自由を制約するとまで言えない、と述べている。夫婦同氏の法制度があることによって生じている現状こそ憲法違反であると訴えてきた上告人らの主張に対して、最高裁の多数意見は選択的夫婦別姓制の問題は「第一次的には国会の合理的な立法裁量」にゆだねるべきであり、立法に際しては、憲法の各条文の趣旨を指針とすべしと述べている。判決は、民法七五〇条が、憲法の根本原理である憲法一三条と二四条の人権の侵害に当たるという法的効果を導くことなく、憲法の「個人の尊厳と本質的平等」を「立法裁量の指針に格下げし、諸利益の総合衡量・総合判断の手法により、理由の明確な説明を回避して合憲と断定した」ことは批判されるべきである。

(3)岡部喜代子判事の補足意見 
 この多数意見に対して、岡部喜代子判事の補足意見は説得的である。
「明治民法の下においては、多くの場合婚姻により妻は夫の家に入り、家名である夫の氏を称していた。昭和二二年の民法改正時においても、夫は外で働き、妻は家事育児に携わる近代的家族生活が標準的な姿として考えられていたので、妻が夫の氏と同一になることにかくべつ問題は生じなかった。しかし近年女性の社会進出が進み、婚姻前や婚姻後仕事をする女性も増加し、夫の内助としてではなく「独立した法主体」として働く女性も出現してきた、氏は個人の呼称としての意義があり、同一性識別機能を考慮すると、婚姻後氏を変更したとき、アイデンティティーの喪失感や婚姻前の業績、実績、成果など法的利益に影響を与えかねない状況となった。こうした状況は、社会的経済的立場の弱さ、家庭生活における立場の弱さ、種々の事実上の圧力等現実の不平等と力関係が作用して、主として妻側に起きている。婚姻前の氏使用の有用性、必要性はさらに高くなってきていて、婚姻の自由を制約する。」
 確かに「離婚や再婚の増加、非婚化、晩婚化、高齢化などにより家族形態も多様化している現在」において、氏を家族の呼称という意義や機能を強調することは不自然である。また家族のなかの子は嫡出子のみではない。夫婦親子の実感は「同氏」から生まれるわけではない。たとえば、それぞれ子どもを連れて再婚し、夫婦からも子どもが生まれたときを考えると、氏が違う子どもたちは一体感のない家族なのか、ともに生活することから一体感は生まれてこよう。
 また通称使用に対する岡部判事のコメントは、「通称使用は、便宜的なもので、使用の拒否、許される範囲などが定まっているわけではなく、現在のところ公的な分野には使用できない場合があるという欠陥があり、通称名と戸籍名との同一性という新たな問題を惹起することになる」と指摘し、緩和措置としても不充分であり、すでに立法裁量の範囲を超えて、憲法二四条に違反すると述べている。
 なお、一九八〇年に批准した「女子に対するあらゆる形態の差別撤廃条約」に基づき設置された女性差別撤廃委員会からも、二〇〇三年(平成一五年)以降、繰り返し、日本の民法には夫婦の氏の選択に関する差別的規定が含まれていることに懸念が表明され、廃止が要請されていることを付言している。これは、国際条約の国内適用効力を認める意見として評価されよう。四人の裁判官が岡部判事の意見に同調している。

(4)木内道祥裁判官の反対意見 
 木内裁判官は、「問題となる合理性とは、夫婦が同姓であることの合理性ではなく、夫婦同氏に例外を許さないことの合理性である」として、多数意見が通称使用を緩和措置と認めている点に対し、「法制化していない通称使用は相手次第であることになり大きな欠陥」である。夫婦には別れもあり、未成熟の子の養育の責任は夫婦同氏であることが支えとなってはいない、と反論している。

(5)山浦善樹裁判官の反対意見
山浦裁判官は、社会構造の変化を受けて、一九九四年(平成六年)には法制審議会民法部会身分法小委員会の審議に基づく法務省民事参事官室「婚姻制度等に関する民法改正要綱試案」、一九九六年(平成八年)に法制審議会が法務大臣に答申した「民法の一部を改正する法律案要綱」、その後の選択的夫婦別姓法案の国会への度重なる提出と国会における質疑、女性差別撤廃委員会の勧告等からすれば、「国会は立法措置を理由なく、長期にわたって怠っていたことは明白である」として、国家賠償法一条一項違反として、慰謝料が認められると述べている。私はこの判断に全面的に賛成したい。

二、夫婦別姓制度の立法化を求める運動 
 選択的夫婦別姓制度の立法化の請願は、一九七五年(昭和五〇年)に、当時復氏を義務づけられていた離婚する女性が「婚姻中の氏」を名乗ることが出来る制度の立法化を求める請願とともに提出されている。そのときの紹介議員は市川房枝、佐々木静子参議院議員であった。最初の請願は「あたかも妻は夫の支配のもとに従属し、人格を吸収されるのが当然の如き誤解を生じさせ、女性の社会的進出を阻害している」と理由を述べている。一九七六年(昭和五一年)には、離婚した配偶者が「婚姻中の氏を名乗る」ことができる法律が成立したが、選択的夫婦別姓制度の立法化の請願は絶え間なく続き、戸籍法の改正の請願も加わって、数を増していった。
 一九八五年(昭和六〇年)「女子に対するあらゆる形態の差別撤廃条約」が日本で批准され、その第一回政府報告書が、一九八八年(昭和六三年)三月ニューヨークの国連本部で審議されることになり、国際女性協会のメンバーであった私は、朝倉むつ子東京都立大学助教授(当時)と山下泰子文京女子短期大学教授(当時)とともに、審議を傍聴するためにニューヨークへ飛んだ。私たちは女子差別撤廃委員会の審議が日本国内へ及ぼす効果に期待を抱いていた。日本政府の報告をうけての質疑では、条約一六条の家族に関連して、日本では、夫と妻は平等な存在であるか否かが問題となり、赤松良子委員は「氏の問題は、婚姻の時に決定すると規定されており、既婚女性には、未婚時代の名前をなお継続して使用する権利がある。しかし実際には、非常に少数(約二%)の女性が、未婚時代の氏を継続して用いているにすぎない。この点について、政府は、女性の地位を強化するための立法を採択するよう考慮すべきである。いままさに時は来た」と発言。傍聴していた私たちは胸を熱くした。しかし政府代表は「法律上、夫が妻の氏を選択することは禁止されていない」とにべもない答弁であった。
 その夜、私たちの宿泊しているホテルに日本から電話が鳴った。
「社会党参議院議員久保田真苗です。いま、日本では夫婦別姓の立法化を求める集会を開いています。女子差別撤廃委員会の審議状況は如何でしたか。みんな聞きたがっています。」
 私たちは、ラジオのライブのように、ニューヨークから状況を報告した。
 選択的夫婦別姓を求める運動は、各地でのシンポジウムや討論会、法務省への働きかけ、「夫婦別姓を考える会」「民法改正ネットワーク」の設立、国会議員へのロビー活動と請願運動、市民が作る改正法案の報告会、地方議会からの立法化の早期実現を求める意見書、質問主意書の提出、戸籍法の学習会、マスコミの報道や出版等、大きなうねりとなっていった。日本弁護士連合会も戸籍の個人化を含めて選択的夫婦別姓制に関する意見書を発表し、民法改正にむけて積極的な提言を行った。
 一九九一年(平成三年)一月、法制審議会民法部会身分法小委員会は「夫婦別姓の問題」の検討にはいり、五月政府婦人問題企画推進本部は、国内計画の一つとして、夫婦の氏を含めた婚姻制度の見直しを決定した。社会党は一九九二年(平成四年)三月「法律案要綱」を策定、自民党女性局も別姓勉強会を立ち上げた。世論調査が実施され、一九九二年一二月法務省中間報告が出された。法務省に寄せられた意見は三分の二が別姓賛成、法案化には三年、個人籍は戸籍法の改正としては困難であるということであった。
 一九九二年(平成四年)七月、私は参議院議員(当時社会党)となり、翌年社会党シャドウ・キャビネット(影の内閣)の女性担当委員長となった。夫婦別姓の立法化を求める請願の紹介議員となり、千葉景子参議院議員とともに、法案要綱から法律案への立法作業に着手した。約一年をかけて議員立法として提出できるようにして、野党共同提出の環境作りに奔走した。

三、法務省の夫婦別姓法案とその論点
 一九九六年(平成八年)二月、法制審議会が「婚姻制度に関する民法改正案要綱」を法務大臣に答申した。これは、女性の再婚禁止期間の短縮、婚外子の相続差別の廃止、五年以上の別居で離婚を容認する制度等の改正ともに、選択的夫婦別姓制度の導入を提言していた。法務省案は、「夫婦同姓」か「各自の婚姻前の氏を称する」夫婦別姓か、選択できるとし、子の氏は婚姻時に夫の氏にするか妻の氏にするかを決めて、子ども同士は同じ氏に統一する、既婚夫婦は、改正施行後一年以内に、夫婦が同意して届ければ、婚姻前の氏に戻すことができる、と規定していた。
 社会党案は、子の氏について、子どもの出生時に届けるものとして、子ども同士の別姓も可とし、改正施行後の別姓選択期間を二年として、同姓から別姓へ、また別姓から同姓への変更ができるものとしていた。どのように戸籍に記載するかは、別氏別戸籍、別氏同戸籍、個人籍の方法があるが、別添の表1は同氏選択、表2は別氏選択、表3は通称使用の自民党案、表4は個人籍の例示である。また祭祀(墓や位牌)の承継については、現行の八九七条(第一は死者の意思、第二は地域の慣習、第三は家庭裁判所の決定)を原則存続させる。しかし別姓制度は、祭祀は同氏のものが承継するという原則にも変容をきたすことになるので、生前承継の規定(民法七六九条)は、離婚など事情の変更が生じたとき、協議により変更できる一般規定とする必要がある。
 同年一一月一六日には「家族に関する世論調査」の結果が発表されたが、同姓賛成が三九・八%、別姓賛成が三二・五%(ただし三〇代女性は八三・四%、男性七五%)、通称使用の法改正支持が二二・五%であった。子どもの氏については、同姓にすべきが七二・五%、別姓でよいが九・五%、どちらともいえないが一六%であった。
 選択的夫婦別姓制度の導入についての反対意見は「夫婦同氏は日本に定着している」別姓は「婚姻の意義を薄め、家族の秩序を崩壊させる」「家族の絆を弱くする」「家庭・社会を混乱させる」「世論調査によれば消極論が多い」「通称利用でよい」というものであった。反対の急先鋒であった村上正邦参議院議員は「夫婦同姓は愛を育み、徳を拡げる日本の文化」というパンフレットを配布された。

四、自社さ政権における立法化の挫折  
 一九九四年(平成六年)六月、自社さ政権が誕生して、社会党は、子の氏の決定方法の違いを法務省案に統一し、与党案として、法案の成立を目指すことにした。法務省は国際的にも、選択的夫婦別姓の立法化に意欲を燃やしていた。一九九七年(平成九年)三月「与党民法改正プロジェクト」を立ち上げた。メンバーは、自民党は野中広務(座長)、古屋圭司、成瀬守重、社会党は清水澄子、大脇雅子、さきがけは堂本暁子の各議員であった。自民党は、「家族法に関する小委員会」で旧姓を使用する場合に配偶者の同意を得ることを条件とした「旧姓続称制度」の私案を作成し、それを軸に検討したい、但し、いまだ自民党案はまとまっていない、婚外子の相続権を嫡出子と同等とする条項には反対であった。社会党・さきがけは、検討は法務省案を軸とすべきで、氏が個人の人格権であるという本質に反する自民党案は受け入れられない、法務省案の合意に全力を挙げる、合意に至らない場合は議員立法の提出も辞さないという方針でのぞんだ。その後自民党からは「閣法」で提案できるようにしたい、自民党内部の意見調整を急ぎたいという意見が表明された。自民党側からは、なぜ通称使用でいけないのか、通称を戸籍法に記入することにしてはどうか、党内では家族の絆が壊れるという意見が多くてまとまらないという。社会党・さきがけは、通称使用では印鑑証明や登記簿登録、パスポートなど公的なものに適用できない、別姓使用をみとめないことは基本的人権の侵害である、家族の崩壊にはつながらない、家族は多様化していると事例を挙げて反論した。自民党委員の古い家族観への反論、説得、抵抗の繰り返しで議論が進展せず、堂本議員と私がたまりかねて席を立ち、野中座長が二人の議員室にとりなしに来られるという一幕もあった。懇親会では、自民党の委員が「○○家の墓には、別姓の嫁など入れられるか。死んでも別姓反対だ」「俺の目の黒いうちは別姓など通さないぞ」と言って、「では娘しかいない時はどうされますか、墓は絶えるでしょう」と激論になった。最後は野中座長が自民党内の意見をとりまとめることになったが、野中試案でも、自民党からは法案の提案者の数がそろわないということで、立法化は挫折した。法案の提案には二〇名の賛同者が必要で、自社さ政権では、「三、二、一の法則」があって、自民党側は一〇名の提案者がそろわない。自民党のバックの宗教団体の反対署名もびっくりするほどの数に達し、封建的家父長制の基層の厚さを思い知らされた。
 国会には超党派の女性議員懇談会があり、その世話人を引き受けた時、私は法務省に懇切丁寧に説明をしてもらい、女性議員の総意として法律案の推進を測りたいと思った。しかし自民党と公明党の女性議員はいずれも通称使用でよいではないかと発言。婚外子の相続分の平等化に至っては、「婚外子を産むなら覚悟して産め。遺産の要求なんかもってのほか」という自民党女性議員がいて、法務省が憮然として「日本政府は、出生差別として、国際自由人権規約委員会から是正の勧告を受けています」と答える始末であった。その後選択的夫婦別姓法案は、一九九八年(平成一〇年)から二〇〇二年(平成一四年)まで毎年、毎国会期に民主党など野党が連携して議員立法として国会へ提出されたが、いずれも廃案となった。

五、自民党の例外的別姓制の迷走
 二〇〇二年(平成一四年)五月「選択的夫婦別氏制度に関する世論調査」が内閣府から発表された。別氏への改正賛成四二・一%、同氏賛成二九・九%となって、二〇代と三〇代の女性は八五%、男性八〇%を占めた。同年、森山真弓参議院議員が法務大臣となり、別姓法の立法に意欲をもち、「夫婦別姓」の議論が再燃した。女性議員有志が陳情と激励に大臣室を訪れた。自民党内の推進派が、家庭裁判所の許可により別姓を例外的に認める改正案を提出する動きが始まり、慎重派の山中貞則衆議院議員が「例外的に夫婦別姓を実現する会」の会長に名を連ねて、久間章生、野中広務、古賀誠衆議院議員も賛成して、野田聖子私案も出た。法務省は「例外的夫婦別姓法案」を作成して、党議拘束を外して、法案は国会へ提出されて法改正は実現するかに見えた。
 民法七五〇条「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称する。ただし、職業生活の事情、祖先の祭祀の主宰その他の理由により婚姻後も各自の婚姻前の氏を称する必要がある場合において、家庭裁判所の許可を得て、婚姻の際の各自の婚姻前の氏を称する旨の定めをしたときは、この限りではない」
 なんと奇妙な条文であろうか。しかし「事実上選択的夫婦別姓と変わらない」「景気対策が優先されるべきである。こんな問題に時間とエネルギーは裂くべきでない」「とどのつまりは少数者の権利救済に尽きる」と自民党内の慎重派の抵抗は強く、高市早苗衆議院議員が対案として通称使用の法制化を提案、森山真弓法務大臣が衆議院法務委員会において「二つの名前を一人の人が公式に使うとなると、混乱を生じ、犯罪に使われる可能性がある」と否定的な見解を述べることとなった。法案は、自民党内の事前審査制の壁を突破できず、国会へ上程されることなく終わった。以後、別姓問題は棚上げとなった。
 二〇〇九年(平成二一年)七月民主党政権が実現し、千葉景子法務大臣が選択的夫婦別姓法案の国会提出の意向を示したところ、翌年三月二日「夫婦別姓に反対する国民会議」が結成され、民主党からも「夫婦別姓を慎重に考える会」の議員が参加、櫻井よし子、桂由美、長谷川三千子氏ら女性も加わっている。閣議決定では国民新党代表亀井静香金融相が唯一人反対し、法案提出はできなかった。国民会議は、「夫婦の基盤は愛に結ばれた温かい家庭にあります。日本の歴史と伝統文化を大切にして、日本人の誇りを胸に、法務省が法案提出を断念するまで運動を続ける」という声明を発表、五〇〇万署名と国会議員過半数の結集を目指すとした。
 ちなみに婚外子の相続分の差別は、二〇一三年(平成二五年)九月四日最高裁判決により、子どもの出生差別として、憲法違反とされた。

六、選択的夫婦別姓法の立法化に希望はあるか  
 こうしてみると最高裁の判決は、まるで国会論議のあわせ鏡のようである。女性が感じている従属感の痛みは全く理解されていない。別姓を求める女性たちは、立法化に絶望して、司法に希望を託してきた。しかしボールは再び国会へ投げ返された。
 通称使用の不便さもあって、経済力を持ち、婚姻届をしない「事実婚」(内縁の夫婦ともいう)を選択している別姓夫婦が多くなっていくと思うのだが、事実婚の配偶者は、相続権もなく、共同親権もなく、財産分与の権利もないという著しい不利益のもとにある。最高裁判決は、事実婚に対して何の言及もなかったが、平成一三年内閣府の世論調査によると、氏を変えたくないという理由から「事実婚」を選択している人はいると思うと答えた人は五九・三%いて、「同じ苗字を名乗っていなくても正式な夫婦と同じような生活をしていれば、正式の夫婦と変わらないと思う」と答えている人は六九・六%に及んでいる。女子差別撤廃委員会からも繰り返し、夫婦同氏の原則が差別的であると懸念が表明され、国際的にも廃止が要請されている。一定の要件のもとで事実婚に法律婚と同等な諸権利を認める法改正の道も、もう一つの選択肢として考える必要がある。
 選択的夫婦別姓法は、家族の多様性を認めて包摂する家族観に立っている。一九九四年(平成六年)国際家族年の国連文書には「家族は社会の最も小さなデモクラシーの単位」と書かれている。私はその年フィリピンの国際会議において、「家族の定義」という部会に参加したことがあった。会議で結論が出ず、後から意見を集約して届いた文書には、「家族とは排他的なもの(exclude)ではなく、包摂(include)するもので、一人でも家族である」とあった。社会において民主的な最小単位としての家族の在り方はどうあるべきかを考えるとき、選択的夫婦別姓法の持つ意義は大きい。
 いま憲法改正が参議院選挙の争点になろうとしているが、二〇一二年(平成二四年)四月二七日決定の自民党の「日本国憲法改正草案」二四条には、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助けあわなければならない。」との規定が新設されている。現行憲法二四条一項の「個人の尊厳と本質的平等原則」は二項に後退させられ、法律対象事項に、最初に「家族」を挙げ、「扶養、後見、親族」を加えている。これは夫婦の人権規定としての憲法二四条を変質させ、家族と親族を加えて、家族主義的色彩を濃くしている。共同体を個人の上に置くことがあってはならない。一人ひとりを大切にする家族の将来像を考えて、選択的夫婦別姓法の立法に向けて、ふたたび運動を組み直す時が来た。


参考文献 高橋和之「夫婦別姓訴訟」世界二〇一六年三月号
二宮周平「家族と法」岩波新書
久武綾子「氏と戸籍の女性史」世界思想社
榊原富士子「女性と戸籍」明石書店
田中優子「夫婦同姓は伝統?」中日新聞二〇一六年二月二日
「夫婦別姓が問う家族の在りか」中日新聞二〇一六年一月三〇日
朝日新聞社説「時代に合った民法を」二〇一五年一二月一七日
日経新聞社説「夫婦別姓の議論に終止符を打つな」同上
読売新聞社説「司法判断と制度の是非は別だ」同上
毎日新聞社説「国会は見直しの議論を」同上
中日新聞社説「時代に合わせて柔軟に」同上