
「被災地に寄り添って」「患者に寄り添って」など最近「寄り添う」という動詞をよく見るようになりました。安倍首相も好きなことばのようです。
首相は「米軍再編も沖縄の気持ちに寄り添えなければ前に進めていくことはできない」と強調した。(朝日新聞6月20日)
これ、一見まっとうなことを言っているように見えます。
「沖縄の気持ちに寄り添う」、いいんじゃない? 沖縄の人たちの気持ちを十分に汲んで思いを寄せる、さすが首相だね、沖縄の人も喜ぶんじゃない?などと思う人もいるでしょう。
「寄り添う」の意味を確認しておきましょう。
『新選国語辞典』(小学館『新選』)は「すぐそばに身を寄せる」
『三省堂国語辞典』(三省堂『三国』)では、
①そば近く寄る。「寄り添って立つ」 ②相手のがわに立って支えるようにする。「子どもの心に―」
となっていて、その近くに身を寄せる、という体の動きが本来の意味で、それに、「支える」という精神的な動きも加わった意味があることがわかります。
最近の新聞を読んだり、web上で検索したりしてみますと、いくつか「寄り添う」例が出てきます。
(1)イルカの赤ちゃんが、母親に寄り添って元気に泳いでいる(朝日新聞6月16日)
(2) 寄り添うザトウクジラの親子。(朝日新聞6月14日)
(3) 母のように苦しんでいる人に寄り添いたいと、大学で心理学を学ぶことにした。(朝日新聞6月9日)
(4) 「みなさんには患者の気持ちに寄り添った仕事をしてほしい」長崎大学の医学部で患者の講演(朝日新聞6月18日)
(5) 堀部安嗣「竹林寺納骨堂」は……高知県の、いや五台山の竹林寺という個別の土地に寄り添うデザインである。(毎日6月28日夕刊)
(1)(2)は、本来の『新選』の語義の体を近く寄せる動作です。その動作も(1)は赤ちゃん側からだけの動作ですが、(2)は親子が両方から寄っていく動作です。A⇒Bへの1方向と、A⇔Bの双方向があるわけです。
(3)(4)は、『三国』の②の語義で、体が近く寄るのではなく「相手の側に立って支えるよううにする」意味です。
(5)は、建築のデザインが、土地に寄り添うというのですから、(1)(2)のように体を近づけるのでもないし、(3)(4)のように精神的に支える意味もありません。でも誤用ではありません。この「寄り添う」は、デザインが先にあって、ヘゲモニーをとるのではなく、土地と建物がうまく溶け合うように、デザインの方から土地に近づいていくということをうまく表現しています。辞書の語義にはないけれど、立派に表現意図を果たしている、こうして語義が広がっていくのです。語義が広がるプロセスが見える用法として、言語を研究しているものとしてはうれしい用例です。
失礼、つい、脱線してしまいました。元に戻します。
安倍首相の「沖縄の気持ちに寄り添う」です。『三国』の②の意味で使っているのだと思いますが、これはあくまでも、支える側と、支えられる側があって、寄り添うのは、支える側AのBに向かって行うA⇒Bだけの動作です。例の(3)では、娘⇒苦しんでいる母への一方的な行為ですし、(4)は、医師⇒患者への行為です。患者が医師に寄り添って何かをすることはありえないので、逆はありません。
そうなると、首相が寄り添う沖縄というのは、一方的に支えられるだけの、つまり、医師に対する患者の位置にあると認識されていることになります。これでは沖縄の人は面白くないはずです。寄り添ってなんかほしくないと言いたいでしょう。沖縄は、確かに政治力や経済力では弱いけれど、患者ではない立派な健康体です。
「寄り添う」をまとめます。体が近づく動作としては、その方向は1方向と双方向がある、精神的に支えとして近く寄るのは、上位者Aから、下位者Bへの1方向だけ、ということです。
安倍首相の「沖縄の気持ちに寄り添う」は、つい驕りが出てしまった発言ではないでしょうか。
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