〈オトコの育児〉の社会学:家族をめぐる喜びととまどい

ミネルヴァ書房( 2016-05-30 )

私たちは、遠いところで起こっている苦しみについては寛容で同情的であり、その原因や解決について冷静に検討したり常識的な判断を下すことができる。しかし身近に起こり、自身に何らかの変化や「損失」が生じる可能性があることとは距離を置きたがり、自分が「関われない理由」を探そうとするものである。 

オトコにとって子育ての問題は、前者でもあり、後者でもある。親になる前にオトコが子育てについて語ることはそう多くない。つまりあまり関心のない話題であり、あったとしても一般論の域を出ない。やがて親になり、そのたいへんさに直面したとき、そして自らも大きな役割を担うべきことを知ったときに、多くのオトコたちはそこで生じる葛藤や責務を回避する理由を見つけようとする。社会もこのようなオトコの態度を是認している。それどころかほんの少しの「手伝い」をするだけで「イクメン」と持ち上げられたりする。育児をしないオンナが受ける批判に比べると、オトコへの圧力は無きに等しい。

母親が担わされる子育ては、量だけでなく質も問われる。子が何かトラブルを起こすと、なによりも母親の責任が問われる。女性も外で働くようになってきた現在でもそれは変わらない。同じ親でありながらこの差は歴然としており、しばしば夫婦間の亀裂を招くだけでなく、子どもにとって望ましくない状況につながることもある。

ただ、オトコも夫婦が「いい関係」であることを願っているし、自分が変わらなければならないことにうすうす気づいている。温度差はあるにせよ、子育てに「協力」しようとするオトコは増えつつある。ところが、長く子育てするオトコは想定されていなかったこともあり、大半のオトコは子育てについての覚悟も備えも持ちあわせていない。結果として、母親(妻)から言われるままに「お手伝い」する程度のことしかできない。それで母親の負担は若干軽減されるかもしれないが、母親が置かれている抑圧的状況は変わることはない。

この不均衡な関係を改めるには、戒めや反省だけでは十分でない。必要なのは、子育て場面で顕在化する夫婦間の溝にオトコが「気づき」「行動する」ことである。子育てにまつわる困難にあまりにも鈍感すぎたオトコたちを刺激しよう。オトコの変化は「協力」にとどまらない子育てのあり方と、より伸びやかな夫婦のかたちを創出していくだろう――私たちはこのようなことを考えながら、本書を企画した。 (「はしがき」から) (編者:工藤保則・西川知亨・山田容)