⓹「草々・・・」

田植えから、早くも2カ月が過ぎ、稲の先には、『穂』が出はじめようとしています。この、稲穂の中には小さな小さな、お米の赤ちゃんが包まれています。
今年も、なんとか稔りの秋を迎えられるまで、あと一息、というところです。

『稲を育てる』のが農家のお仕事、というイメージですが、
実は、稲を育てることができるのは、「太陽」と「水」と「空気」です。

私たち農家にできるのは、その自然に“育つ力”を、信じ、サポートしてあげることだけです。

どのようにサポートするかと言えば、
「水の管理」と「除草」と、そして、足繁く田んぼに通い、「目と心をかけてやる」。
たった、それだけです。

4月のエッセイにも書きましたが、人が種を播いて育ててあげなくても、草たちは自ら種を播き、最適な時期に芽を出し、実に逞しく育ってくれます。
特に、気温もぐっと上がり、太陽の光が一気に強さを増すこの時期、
稲も、野菜も、草々も、みんな平等にその恩恵に与り、
一雨、一陽ごとに目を見張る勢いでグングンと成長していきます。

慣行農法では、この草達を根絶やしにしするため、「除草剤」という農薬を散布します。
一般的には、①田植え前、②初期(田植え直後~1週間以内)、③中期(15~30日後)、④後期(40日後)と、それぞれの時期に農薬を田んぼに撒いて、草を枯らして除草します。
農薬の成分や、草を枯らす仕組みは様々ですが、薬がしっかり効けば、草は枯れ、稲だけが生き延びます。
田んぼに入らなくても、撒くだけで草が枯れるので、大幅に労働力を削減できます。
 また、最近の農薬は、分解が早く作物に残りにくいので人体に影響はない、と言われています。
が・・・。
実際、農薬がどのくらい稲に吸収され、それがお米に残存し、食べた人間の人体にどう影響するのか。長期間の蓄積や、次世代への影響も含めて、本当にまったく影響なく安全と言えるのでしょうか。

メーカーやJAの宣伝文句、農薬の袋に表記してあること。
どこまでが安全で、どこからが危険なのか。よく分かりません。

もちろん、国の定める厳しい基準もあります。
が・・・。
未来永劫、その基準は変わることはないのでしょうか。
これまでも、様々な理由で基準が変わり、以前は使われていたけれど、現在は使用できない薬がたくさんあります。
また、外国では既に使用が禁止されているのに、日本では現在も使用されている薬もあります。

多種多様な植物が生きる自然界で、単一の作物だけが立派に茂り実る畑や田んぼ。

それが、美しい農村、豊かな田園風景なのでしょうか。

なんとなく、不自然な感じがしてなりません。

例えば、農薬を使用した田んぼからの排水が流れ込む用水路で、子どもたちが泳いだり水遊びをしていたら・・・。

どんな気持ちがするでしょうか・・・。


顕著なのは、虫たちです。
もう、季節は終わってしまいましたが、今年も6月の中旬頃には、田んぼに蛍の舞う姿がたくさん見られました。
無農薬の田んぼが並んでいるエリアは、蛍の数が桁違いです。
不耕起栽培と言って、田んぼを耕さずに冬期も水を張り、生態系の営みを守りながら稲を育てている田んぼでは、田植えをしている時に、稲の葉にしがみついている蛍や、水草の上を歩く蛍など、昼間でも数多くの蛍を見ることができました。

この、美しい蛍の乱舞する光景を、私たちの子ども、孫、ひ孫、やしゃ孫・・・。
ずっと、ずっと、見せてあげたい。

とても、ささやかですが、切実な願いです。

じゃあ、全ての田んぼで除草剤を使うのを止めて、草を生やして農業を行えばいいじゃないか、と思われるかもしれませんが、そこが、とても難しいところで、、、、。

草があまりに繁茂しすぎると、本来育てたい作物が草に負けてしまい収穫することができなくなってしまいます。

また、収穫できる程度に育てば良いのかと言えば、そうもいきません。
それぞれの農家さんは、できるだけ多量に収穫し、それによって収入を得たいので、少しでも草に栄養分を取られたくないのです。

私たちも、稲が草に負けてしまい、育たなかったら困ります。

でも、除草剤は使用したくない。

そこで私たちは、
① 草が生えにくい田んぼづくり、
② 草に負けない元気な苗づくり、
③ 生えてきた草を人力で取り除く
ことにより、「除草剤」を使用しないでお米を育てています。

この①と②は田植えまでに終了し、田植え後~稲刈りまでの約4か月間、ひたすら続くのが③の人力による除草です。
稲と稲の条間を手押しの除草機を押してグルグルぐるぐると、何キロも何十キロも歩き周ったり、炎天下、或いは雨の降る中、何時間も腰を屈めて草を手で抜いたり・・・

 先月のエッセイにも書いたように、それはそれで、大変ではありますが、清々しく生命の逞しさを感じる貴重な時間でもあります。

 

考えてみると、世の中すべて同じようなものなのかもしれません。
 いろいろな人がいて、色々なイノチが生きていること。
 その中で、実は、奪い合うだけでなく、与えあったり補完しあいながら生き合っていること。
 一面だけ見ると、苦しく大変なことに見えても、別の側面から見れば、喜びや学びがあったりすること。
 みんな、みんな、認め合い、許しあい、受け入れあい、補い合っていること。
 草だらけの田畑は、そんな生き方もあることを、
 改めて、教えてくれようとしているように感じます。
参考)除草剤



shima-nobu-hikari★著
http://shimahikari.jp/