発達障害かもしれない子供と育つということ。39
やっと夏休みが目前だ。あと少しで夏休み、と呪文のように唱えながらなんとか乗り切ろうとしている。娘の学校生活も、1年の約半分、少なくとも3分の1は終わったのだ。
長いような、あっという間だったような、の期間だった。荒れていたクラスからの「普通」のクラスへの移行。娘には、結構辛かったようだ。今まで落ち着かないクラスだったのも大変だったとは思うが、本人は規律もルールもなく、だらーんと過ごすことはできていた。今度はきちんと、連絡帳は書かねばならず、忘れ物をしないように気をつけなければならず、授業にも参加することが求められる(今までは放置されていた)。宿題も出るようになった。新学期はストレスマックス。傍目にも荒れていたし、教室でも先生の指示を聞かずに無視することなどあったようだ。
それでもなんとか落ち着いてきたので、とりあえず「転校」という選択肢をすぐに取らなくてもいいかと思えるようになった。今後、保護者会はさぼることにして。「公立の小学校が大変」とこぼすと、「なにいってるんですかっ! 公立は最高なのに!」と食って掛かかってくるひと(たいてい高級住宅街に住んでいる)が稀にいるのだが、とりあえず身の安全が保障されたクラスというのもあるんだなぁ。都市伝説かと思っていた。みんな、自分の体験からしか物事を判断できないのだ。私も含め。
授業の見学をしてもらったカウンセラーに、「もう学校の勉強はいいじゃないですか」といわれた。何年か前にも小学校にいわれた「障碍者枠で就職するなら、九九も覚えなくてもいい」というのとは違って、今度は「塾で勉強すればいいじゃないですか。教室では勉強しなくていいと割り切りましょう」。びっくりした。小学校の世界では、子どもの問題はみんな「おけいこ事や塾に通わせて子どもを疲れさせる保護者のせい」というルールがあるのかと思っていたから。
みんなと一緒に勉強するのは、娘にとっては辛いらしい。気持ちよく先に進みたくても「もうやめろ」といわれ、やりたくないことを一斉に「やれ」といわれる。でも残念なことに、日本の学校のスタイルはそうなのだ。なかなか難しい。
1か月お休みを貰ってしまいました。すみません。
2016.07.20 Wed
カテゴリー:発達障害かも知れない子供と育つということ / 連続エッセイ
タグ:子育て・教育
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