1936年から3年間続いたスペイン内戦は、反右翼で団結した共和国派による人民戦線内閣が破れ、保守派やカトリック教会が支持をしたフランシスコ・フランコ将軍率いる反乱軍の勝利に終わった。その直後から、内戦で敗れた共和国派の生き残りを一掃するために、活動家たちの妻や恋人、母親らが、カトリック教会のシスターたちによって運営されるマドリードの刑務所に収監され、おざなりな裁判で次々と死刑に処せられていた。
ペピータ(マリア・レオン)は、妊娠しているにもかかわらず収監され処刑の恐怖にさらされている姉オルテンシア(インマ・クエスタ)を支えるため、南部のコルドバからマドリードへやってきた。敬虔なカトリック教徒でもあるペピータは、水面下で共和国派を助ける元医師の家で、姉のことを口外しないことを約束にメイドとして雇われることになる。彼女は折をみて刑務所に足を運び、面会の場で姉に対して、生まれてくる子どものためにも謝罪をし、情状酌量を願い出るよう懇願した。だが、山岳地帯でゲリラ戦を展開する夫を裏切る気持ちなど毛頭ない姉は、死刑をいとわないばかりか、弱気になる妹を叱咤激励し、ペピータに夫への連絡係を頼むのだった。やがて、ペピータの秘密裏の行動は、自分の身をも危険にさらすことになっていく――。
この映画は、ドゥルセ・チャコンの小説『La Voz Dormida』(映画の原題も同じ。2002年にブック・オブ・ザ・イヤーを受賞)を原作として作られている。原作者の彼女は、スペイン全土をまわって、実際に投獄から生き残った女性たちにインタビューを重ね、その証言をもとに小説を執筆した。女性刑務所内の実態を初めて明らかにしたこの作品を2003年に偶然読んだベニト・サンブラノ監督は、すぐさま映画化を願い出たのだそうだ。その後、チャコン氏は末期のすい臓がんのため2005年に死去。サンブラノ監督は、それから6年かけて映画化を実現した。まさに、渾身の作である。
同じ国民同士が殺し合う内戦では、政権側の人たちも共和国派の人たちも、誰もが、身内や身近な人を殺される経験をした。そして、だからこそ、それぞれに深く傷を負ったまま、戦後のフランコ時代の圧政の中で幾重にも沈黙を強いられ、葛藤を抱えて生きたのだろう。映画でもそのことが、例えば敬虔なカトリック教徒であるペピータの苦悩や、ペピータを雇うことになる医師の妻の態度、あるいは刑務所の中でオルテンシアに一瞬手を差し伸べる、一人の元教師のシスターの言葉によって示される。オルテンシアは現政権をまっこうから否定し、自分の信条を最後まで貫いて激しく生きるが、生き延びるために、自分の信条とは違う場所で耐えざるをえなかった人たちも数多くいたのだ。この映画は、内戦後の圧政と弾圧の中にあっても毅然として生きた女性たちを描いているとともに、声に出せなかった葛藤や苦しみの中で、沈黙の叫びをあげていた女性たちをも、一貫して女性の眼差しから描いた作品となっている。
刑務所内で出産するオルテンシアが自ら選んだ人生の選択は、ペピータのその後の人生を左右することにもなったが、ペピータは姉との別れの後、姉から受け取った命とともに自分の人生を主体的に紡いでいく。わたしは彼女の一途さにも脱帽したが、彼女が紡いだ、信念に支えられつつも決して明るくはなかったであろう人生の、さらに先に続く未来を予感させるラストに大きな希望を感じた。それはラストのモノローグによって、人が、限られた一生の中で自らの思想を誰かに手渡すことによって、他者の命の中でまた確かに生き続けていく存在でもあることを確認できたからだ。
全身に権力を貼り付けたような刑務所長の専制的な振る舞いや、ペピータと活動家の男性とのロマンスなど、ずいぶんドラマチックに描かれている部分もあるが、それもこの映画に、観た人を重苦しさから救い上げるエンターテイメント性をつけ加えることに成功していると思う。ペピータとオルテンシア、姉妹を演じた俳優たちの熱演もすばらしく、最初から最後まで目が離せない作品だ。公式ウエブサイトはこちら。(中村奈津子)
<スペイン内戦とその後のフランコ時代を描いた、その他の作品もいくつかご紹介します。>
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