中国四川省の四姑娘山(すうくうにゃんさん)に登ってきた。山の名前もいいし、その姿が美しい。その4人娘のうちの最も高い4女の四姑娘山は6250mと大変高いが、三女次女と少しずつ低くなって、長女の大姑娘山(たあくうにゃんさん)は5025m、日本人の登山愛好者もけっこう登っている。幻の花と言われるブルーポピーも咲いているとか。
7月26日成田―成都、8月4日成田帰着の10日間の旅。 5000mの高山で高山病にかからないためには高地順応に時間を十分とったほうがいいという現地の人のアドバイスをいれて、余裕を持った日程になった。高山病が怖かった。せっかくアタックキャンプまで行ってもアタックできない人が、ツアーなどのグループの中に必ず数人はいると聞いていた。
成都(ちぇんとぅ)で迎えてくれたガイドの肖(しゃお)青年は、申し込みのリストの年齢を見て間違いではないかと何度も疑ったという。中国の青年には、78歳の女性がこの山に登るとは考えられなかった。肖青年と連絡を取ってくれた留学生の李(り)さんが、遠藤とは、去年北アルプスの黒部五郎、双六などを一緒に縦走したから大丈夫と保証してくれた結果、肖さんも納得したのだそうだ。確かに中国はまだ日本ほど高齢社会は進んでいない。町を歩く人の中にも商店街にも車いすや杖の人は見当たらない。中高年登山などということばもないという。
成都から13時間のバス旅を経てやっと麓の町日隆(りいろん)につく。本来なら8時間ほどで行けるルートをとる予定だったのだが、あいにくそのころ雨が降り続いて川が氾濫して通行止めになり、たいそうな大回りをしてたどりついたわけだった。その日隆の町で2泊して3000mの高さに慣れ、馬でキャンプ地,花海子(ほあはいず)に移動。ここでも2泊して高地順応のハイキングで体を慣らした。
5日目にやっと登山が始まった。湿地帯のキャンプ地から5時間かけて4300mのアタックキャンプまで登るのだ。白く可憐なエーデルワイスをはじめ高山植物が咲き乱れて、雄大な山々の眺めが目の前に展開され、それはそれはすばらしい景観なのだが、花を愛で、大空を舞う鷹に見とれる余裕もあらばこそ、登りは苦しくて苦しくて辛い。山の傾斜や距離自体は北アルプスと変わらない。いやもっと楽な行程だ。それが酸素が少ないため、猛烈に苦しい。一歩一歩深呼吸をしながら、ひたすら足を進める。足も、普通の登山の時ほど重かったり引きずるようだったりということもない。ただ胸が苦しいのだ。苦しくて足が進まないのだ。
ガイドの肖さん、初めは我々の遅いペースがわからなくて、どうしても先に行ってしまう。そうなると、こちらは追いつくのが大変で、ますます息が上がってしまう。「こちらはみんな60歳以上(李さん以外は)、もっとゆっくりゆっくり登ってほしい」
李さんにそう言ってもらって、やっと彼も遅いペースがわかってくれた。立派な体格のたくましい山男が、6,70歳の日本人を相手にほんとにゆっくりゆっくり歩いてくれて、きっと眠かったろうと思う。なんとか高山病にはかからなかったが、酸素の少なさには心から参った。
6日目、朝4時起き。目指す大姑娘登頂の日。5時出発。浙江省から来た27人の若者のグループはご来光を見ると言って3時ごろから起き出して、4時には出て行った。こちらは、日本からの4人の女性と、肖さん、それにテントや食料などを馬で運んでくれたチベット族の周(ちょう)さん、蔡(つぁい)さん、計7人の一隊。まだ夜明けには早く、星が低く大きく見える空のもと、ヘッドライトをつけて歩き始める。5分も歩かないうちに呼吸が荒く苦しくなる。肖さんはゆっくりゆっくり前を歩いていく。10分も歩くと、「休憩(しゅうし)」と言ってくれる。この声に救われて、ストックに身を預けて荒い荒い息を整える。水を飲んだ方がいいと言われても、それよりも何よりも、息を整えるのが先決、やっと普通に呼吸ができるころ、さあ、出発。
それでも土の道だった時はまだ歩きやすかったが、ガレ場に出ると、薄い板のような岩が積み重なって、足場が悪くなる。少し高さのある岩の前では、肖さん、私の手を取って引っ張り上げてくれる。肖さんがほかの人を助けているときは、周さんが手を貸してくれる。北アルプスならこのくらいの山はいくらでもある。山のきつさは大したことはないのだが、酸素が足りないのが何よりもつらい。心臓が飛びだすのではないかと思うほど、ハアハアフウフウ大きな息をして歩く。周さんは私の荷物が重そうだからと持ってくれる。蔡さんはきつそうなところは先回りして待っていて、引っ張ってくれる。
7時ごろ明るくなってきた。苦しくて下ばかり見てのろのろと足を運んでいる視界に薄い青色の花が入ってきた。「もしかしてこれが?」
そうだった、茎に棘があり、つぼみが頭を下げていて、まさにケシの特徴をそなえている。いままで4日間高地順応をしながらずっと探し求めていたブルーポピーが、岩陰にすっくと立っていた。登りの辛さを一瞬忘れさせてくれた。でも、まだ頂上への道は遠いと思うと写真を撮る余裕もない。帰りの楽しみにして、また登り始める。
ご来光を見に行った浙江省の若者たちが下山してきた。むこうはくだりだから元気いっぱい大声で話したり、山の歌らしいものを歌ったりしている。こちらがやっとのことでよろよろと歩いているので、肖さんが78歳なんだからとか言っているらしい。若者たちが「加油(ちゃあよう)!(がんばれ)」「加油!」と励ましてくれる。「我々の10人は高山病で登れなくて下で待ってる。その連中に何と言おうか」と言っているとか。
頂上が見えてきた。そこからが又厳しかった。休んで休んで、あえいであえいで、1歩1歩足を運ぶ。そして、9時半、なんとかやっとのことで山頂に。ラマ教の旗の棒が1本まっすぐに立っている。旗がたくさんたくさん置いてある。旗にはお経が書いてあって、その旗が風にはためくのは読経するのと同じことで、功徳があるのだそうだ。
肖さんと抱き合って喜んだ。涙が出そうだった。彼も初めての高齢者のガイドで無事登頂させたと、ほんとに喜んでくれた。周さん李さんとも握手、握手。この3人に担ぎ上げられたようなものだった。黙々と手を貸してくれた3人には感謝のことばもなかった。肖さんは中国の老人も孫と遊ぶだけでなく山に来た方がいい、と言い、山に来る人は頭が開けている、と嬉しいことを言ってくれた。
高山病で頭が痛くて薬を飲みながらもどうにか登頂できた友人のSさんがいみじくも言った。中国と戦争なんかしたらこういうことはできないもんねー、と。
そう、つくづくと中国の山の美しさに感嘆し、しみじみと中国の人たちの優しさ温かさを知った山旅だった。