『不思議なクニの憲法』を上映する会 フックス真理子

 日本で何か起きると、まっさきに海外に住む私たちが日本を背負って、矢面に立たされる。福島原発事故は、最初こそ、大いにドイツの人たちの同情と支援を集めたのだが、最近では、ドイツのエコロジストたちに、日本は、この原発事故にもかかわららず、再稼働や原発輸出を企て、世界の環境を破壊する加害者として見られている。ISに対して取る立場からは、すでに日本は「敵」とみなされて、テロの危険に遭う可能性が増大した。日本の政治の動向は、海外に在住する日本人にとって、日本国内の日本人以上に、大きな意味を持っている。日本で、SEALDsが立ち上がり、MIDDLEsが、OLDsがあとに続いたとき、呼びかけによって、瞬く間にOVERSEAsが世界各地をネットワークでつないだ。安保法制には、海外では、みんな深刻な危機感を持っていたのだ。

 その一方で、日本の政治には、在外選挙権を行使して、一票を投じたり、インターネットを通して日本の友人たちに働きかける以外、実際問題としてほとんど関われない。そこで、政治にさらされる立場と、政治に参加する立場と、この二つの落差に、海外在住者としてのもやもや感がつのる。といっても、そのような思いを抱くのは、どちらかというと、国際結婚や現地採用組などの長期滞在者で、デュッセルドルフ在住の多くを占める、いわゆる駐在員とその家族は、日本の政治的無関心の延長線上にある。在外選挙人登録もたいていの場合行なっておらず、したがって選挙にも行かない。彼らは、海外に住む日本人が、署名活動や請願を繰り返した結果、在外選挙権を獲得してきた歴史を知らない。30年ドイツに住む私は、漸次、投票できる選挙が増えてきたことを、折々にうれしく思っていたのだけれど。

 そして、今度は、7月の参院選の結果、新たに浮上した憲法改正のための国民投票である。私たちはいったい、日本の運命を変えるこの投票に参加できるのだろうか。在外選挙人登録してあればできる!という情報を、法律の専門家から得た私たちは、自分たちの人権がとりあえず守られたことに安堵した。が、しかし、これからの道すじはどのようになるのだろう。私たちの一票こそは、本当に熟考してから行使したい。



 そんな矢先、ありがたい話が舞い込んだ。『不思議なクニの憲法』を制作した松井久子監督が、来欧する機会に、デュッセルドルフに立ち寄り、ご自分のトークつきで映画を上映したいという希望があるとのこと。実は、松井監督、昨夏、デュッセルドルフに『ユキエ』上映会のために来てくださり、そのときに、参加者は、松井さんがただいま憲法についての映画を撮影中ということをうかがい、カンパもした。そのご縁が実ったのである。たちまち、何人かの有志で、『不思議なクニの憲法』を上映する会を立ち上げた。映画館は、旧市街にある有名なBlackbox。さあこれで、今まで在外選挙人登録もしていなかったような人たちにも、関心を持ってもらえるように、大いに呼びかけよう。

 当初は、そのような日本人をターゲットに、近く行われる国民投票を棄権しないように、そしてまた憲法自体に興味を持ってもらえるよう働きかける予定だった。ところが、松井監督が、友人の英文学者、藤平育子さんの協力を得て、徹夜の作業で、この上映会に間に合うよう、映画に字幕をつけた。これで急に私たちの望みが広がった。ドイツ人にも日本の憲法について、知ってもらおう!短い期間だったが、なんとかドイツのマスコミへのプレスリリースも作り上げ、拡散した。残念ながら、メディアでは取り上げてもらえなかったけれど、友人・知り合い、国際結婚組や日本学研究者などを中心に、かなりのドイツ人が駆けつけてくれた。

 会場やトークセッションなどについては、動画を見ていただきたい。映画館は大入り満員だった。トークにもたくさんの人が参加した。映画を見て、若い人たちも、この地に骨を埋める覚悟の年金生活者も、自分の生活、自分の生存と実は深くつながっている原点を再発見する思いだったのではないか。映画の最後に、憲法の前文がテロップで流れる。ドイツで読む日本国憲法。ドイツ基本法(憲法)第一条には、「人権は不可侵である。これを尊重し、保護することは、すべての国家権力の義務である。」とある。表現のあり方は異なるが、人類普遍の原理を謳い、私たち一人一人が生きるために、生き抜くために必要な権利を宣言することは等しい。憲法の意味とはそれだ。願わくは、この海外初の上映会が、さらに世界に広がって、それぞれの地で、そこに在住する人々が、日本との関わりや自分の責任を見出すきっかけとすることができますように。