発達障害かもしれない娘と育つということ。41

連載を1回お休みさせてもらった。記事もどうも元気の出るようなものにならなくて、申し訳ない。疲れている。

自己免疫疾患の病気をいくつも抱えている。原因は多々あるだろうが、引き金を引いているのはストレスらしい。そもそも結婚生活も大変だったが、離婚をめぐっても困難が多く、さらに子育ても楽とはいえない。それでも子育てを苦に思ったことはなかったのだが、気持ちの糸がぷつんと切れてしまっている。原因は、面会交流だ。

子どもが情緒不安定になり、癇癪が激しくなり、それによって私の負担が激増したのは、明らかに夫との面会交流がきっかけである。民法が一部改正になり、裁判所はにわかに面会交流に熱心になった。私の弁護士も、「こんなことは今まで経験したことがない」というような出来事の連続だった。離婚の調停が不成立となり、本来だったらそれで終わるところだったのに、調査官がしつこく何度も夫に面会交流の申し立てをするように促したそうだ。調査官自身がそういっていた。「何度もするようにいっているのに、なぜまだしないのかしら。審判を申し立てる期日が来ちゃうのに(?)」と。

この調査官は、「子どもを父親に会わせたくない、どんな理由があるのですか?」と私に問いかけた。倒れるかと思った。こちらも聞きたい。「暴力をふるい、子どもに性的虐待をし、あれだけの酷い行いに苦しめられてやっと別居しているのに、いったい会わせるなんの理由があるのですか?」。

そもそも私も最初は、夫に子どもと連絡を取ることを許していた。どれだけのことがあっても、父親は父親だとは思ったのだ。しかしその過程で、子どもとの約束は守らない、子どもにも不適切なことばかりする、生活費(別居中の婚姻費用)は払いたくないと主張し続ける、お金がかかるなら幼稚園はやめろという(保育園に入るのがどれだけ大変かも、認可外保育園の保育料も高額なのも、わかっていないのだ)、結婚生活についても嘘ばかりいう、私のクレジットカードも使い込む、電話で怒鳴る。ここには書けないようなことも多々あり、「ああ、もうこれはダメだ」と心底思って、覚悟を決めたのだった。はっと目が覚めた。「性的虐待をする父親に子どもを会わせるなんて、暴力じゃないか。そもそも夫としても、父親としても不適切だから、離婚という結果になっているのに。父親と会わないと子どもが健やかに育たないとかいう脅迫に、とらわれすぎていた」。弁護士費用も時間も膨大にかかった。子どものためとはいえ、本当に大事な時間とお金を費やすことになった。

結婚していたときには、夫の暴力から子どもを連れて逃げて、ホテルに泊まったこともある。夫の行状や性的虐待について、相談したメールやSNSも残っている。あまりに不憫に思ったのか、子どもの健全な成長に対して責任を感じた精神科医は、夫を恐れながらも意見書まで提出してくれた。それでも裁判所では証拠にならないといわれた。メールは私が、いかようにも書けるから。私の選んだ医者は、私や子どもに都合のいい意見書を出せるから。あなたへの暴力の写真はあっても、子どもにふるった証拠はないでしょう? あなたはあなた。子どもは子ども。関係ない、ということだそうだ。

子どもの性的虐待の現場の写真を撮るなど、現実には不可能ではないか。その一方で夫は、離婚は不可避だと考えて、親権を自分のものにするために、「自分こそが被害者だ」と嘘の証拠を着々とねつ造し、積み重ねていった。あまりに荒唐無稽なそれらが証拠として効力をもったとは思えないが、「どっちもどっち」という印象操作には大いに役立ったようにも思う。裁判所は、「係争の当事者たちは、すぐに暴力や虐待だと言い立てる」と思っているようで、いくら本当のことを訴えても、「またか」という反応だった。家庭という密室のなかでの暴力を証明することは、ほぼ不可能である。

なによりも裁判所でおこなわれた試行面接のあと、子どもはずっと何時間も泣き続けた。それから夜に泣き叫ぶようになり、小学校に行けなくなった。私自身もそのことに疲れ果てた。今思い出してもこの時期は、記憶がなくなるほど大変だった。それでも面接では泣かなかったので、「成功」とカウントされたのだろう。30分で何がわかるのか疑問だけれど。

審判の過程で、裁判官も調査官も移動でコロコロと変わった。事情が分かってもらったと思ったところでまた別のひとに代わり、いちからやり直し。弁護士がついてから喋る機会がなくなった夫は、ボロをだしていなかった。今度の調査官もやっと、試行面接のときに夫と面談して、夫のひととなりがわかったのだろう。あれほど最初は面会交流の必要性を説いていたのに、「本当に大変でしたね。できるだけ会わせる回数は少ないほうがいいわよね? 二人だけではとても会わせられないわよね?」と確認された。

しかしそこまで理解されていても、面会交流は避けられなかった。弁護士によれば、子どもが明確に嫌だという意思表示をしていて、母親に暴力をふるっていたことが明らかな事例でも、会わせろという判決がでているのだから(コピーを見せてもらった)、面会交流を強力に推し進めようとしている状況で、画一的に月に1回という基準が採用されなかったのはとてもよかった、裁判所の良心だ、とてもすごいことだと思って欲しい、とのことだった。そうは思えなかったけれど。

それまで娘には離婚の経緯も夫の悪口もいっさい伝えてこなかった。しかし会わせるとなったら、そうもいっていられない。「覚えているかもしれないけれど、パパは酷いことをしたから、一緒に住めなくなったの。警察にも一緒に行ったでしょ? ママにかんする情報は漏らしてはダメ。ママがいま何をしているとか、どこにいるとか、一切いわないで。また旅行に行くとかそういう予定も伝えてはダメ。危ないから。わかったわね? また外でパパに会っても、一緒におうちに行ってはダメよ。ママのところに、帰ってこられなくなるかもしれないから」。まだ親権すら確定していないのだ。面会交流さえなければ、まだ10歳にもならない段階で伝えるつもりのないことだった。

娘はまた泣いた。「知らなかった。知らなかったから、裁判所でパパが『また会おうね』っていったときに、『うん』っていっちゃった。知らなかったの。知っていたら、絶対にそんなこといわなかった。知らなかった、知らなかったの! なんでいってくれなかったの!」。「会わないで済むなら、パパを悪くはいいたくなかったのよ」。

面会交流の決定は、娘に直面する必要のない困難をもたらした。でもそれから始まる面会交流に較べたら、その苦労は序の口だったのである。はぁ。それはまた次回。