発達障害かもしれない子どもと育つということ。42

自分の連載を読み返した。1年前に「最近、娘にイライラすることが、劇的に減った」と書いてある。びっくり。その後は「疲れている。疲れている」の連続。「イライラすることが、劇的に減った」と書いたときの、「子育てもなんとかひと段落ついたな」という感情を思いだした。そんな穏やかな日々があったのだ。面会交流が始まるまでは。

小学校が大変だ、大変だと書いてはいるものの、クラス替えもあった。クラスもそれなりには落ち着いた。しかし「娘自身には問題ない」と言われ続けていた娘が、むしろ問題だと学校で思われ始めた。先生の指示に従えない。癇癪が増えた。学校に行けない。遅刻する。ああ、よく考えれば、何もかも面会交流が始まってからではないか! 自分自身がそれとは気づいていなかったが、振り返ってみれば明らかにそうだ。

裁判所で夫の虚偽の言い分ととんでもない要求に対して争い続ける日々がやっと終わったが、面会交流が始まって、私たちの生活は徹底的に破壊された。はっきりいう。面会交流は、別居後の「形を変えた暴力」であり、DVの継続だ。ストーキングの一種としか思えない(ポストから重要なお知らせがどんどん消えていることがまた発覚した。役所や保険の払い込み通知が手元に来ないのは、気のせいなのだろうか。誰かの嫌がらせとしか思えない。なぜそんな人間に、子どもを会わせなくてはならないのか)。

面会交流が始まったら早速、夫からの山のようなクレームが来た。「娘がああいった。あれはきっと、母親がいわせている」「俺の悪口を子どもにいわせるな」「この発言が気に食わない」「あの発言が許せない」わーわーわーわー。面会交流のたびに毎回。めまいがする。

付きまといのせいで家に警察が来たり、娘を置いていけないから一緒に夜中に警察に行ったりしているのに、父親に「よい感情」を抱けといわれても無理だ。それは私のせいではないし、娘の発言は、正直な気持ちだろう。虐待の事実はどこまで覚えているかわからないけれど、一緒に暮らしている母親が苦しめられているのは見て取れる。いわなくても、子どもだってバカではないし、私がいわせているのでも決してない。なによりも、夫からの苦情を聞くのが苦痛だ。モラハラな日々が蘇る。できれば娘が穏便に面会交流をやりすごしてくれたほうが、私も楽なのだ。娘には申し訳ないが、嫌がらせの契機を夫に与えないようにして、淡々と面会交流を終わらせてもらいたい。

「パパに悪口いわないで」といっても娘は聞き入れない。「だって本当のことじゃん」「お願いだからやめよう。ね? パパがまた悪口いうなっていってくるから」「約束できないよ! だっていっちゃうんだもん。知らないうちに。でも、本当のことじゃん! なんでいっちゃいけないの? いままで約束だって、全然パパはまもらなかったじゃん。そういうのも、ダメだって教えたほうがいいよ。悪いことをしたら警察に捕まるって、教えてあげたほうがいいよ」「いったって、わからないんだよ、パパは。だから一緒に暮らせないんじゃん。ね? お願い。そういうことをいうと、また私たちにパパが苦情いってくるから。お願いだからいわないで。パパもいわれるのは嫌なんだってさ」。

面会交流を仲介している第三者機関から電話がかかってくると、いつの間にか娘が、部屋の外で立ち聞きしている。素知らぬふうを装って、聞き耳を立てていたりするのではと思うときがある。夫がああいっています、こういっています。いわれて、母親がため息をついて、困り切っている。父親が母親を苦しめているのは、明らかにみてとれるだろう。面会交流のせいで、娘を葛藤のなかに投げ入れていることになっている。親としては忸怩たる思いだ。「いっても聞かないから。指示に従わないプレゼントなどは受け取ったあとに捨ててくださいと」と夫の弁護士ですらいう。「私には、彼の思考回路が理解できないので。説得は無理です」。私は夫の思考回路がわかるが、それだけになおさら恐ろしさを感じる。

裁判所での試行面接で私たち親子はめちゃくちゃに傷つけられた。また父親に会わせるとなったために、事情の一部を娘に話さなければならなかった。娘だってさらに傷ついたのだ。面会交流の前には、グズグズグズグズして行きたがらない。遅刻をしたらまたどれだけ逆上するか、そう思うとこちらもピリピリする。父親本人は遅刻してくるが、それはいいらしい。プレゼントの約束も、全然守らない。こんな面会交流にいったいなんの意味があるのだろう。少なくとも、私の精神状態は一気に悪化し、そのせいで娘に接するときに、あきらかに余裕がなくなっている。

「パパが待ち伏せしていても、絶対についていってはダメ。一度パパの家に連れていかれたら、もうママとは暮らせなくなるよ」と娘にはいい含めている。「わかった。パパが待ち伏せしてたら、『助けて!』っていって走って逃げる!」。この会話は、父親の悪口を吹き込んだことになるのだろうか。私からみれば、私たちの生活や安全を守るために必死なのだけれど。