自分のからだを目覚めさせるために
「乳がん」は、他のがんに比べて、根治しやすいといわれている。しかし、どのがんでも一度かかってしまうと、いやがおうでも自分が「がん体質」だと認めなければならなくなる。告知されたときのつらさや、手術後の精神的苦痛と体調の悪さはなかなか忘れられない。
「もう二度と、がん(・・)だけにはなりたくない」
そう思うのは、私に限らず「がん経験者」にとって共通の願いに違いない。
右乳房の切除手術を受けてから、ひどく落ち込んでしまった私が、心の健康を取り戻すために試行錯誤を繰り返してきたことは、これまでに書いてきたとおりである。
これからなんとか元気に生きていくためには、根本的な体質の問題を、どうしても改善させたいという気持ちがあった。
私はもともとせっかちで、物事が早くスムーズに運んでいかなければ気がすまない。そのせいか、自分の呼吸に意識を向けたことはあまりなかった。昔からずっと、浅く、早く、短い息をしていたような気がする。
しなやか(・・・・)に(・)生きる(・・・)ためには、しなやか(・・・・)な(・)からだ(・・・)が必要だ。
そう思ったとき、ゆるやかな動きをするヨガをやれば、自分の体質を少しでも変えられるかもしれない、という考えが浮かんだ。
新しい乳房の形成手術が終わって半年が過ぎたころ、自宅から30分ほどで歩いていける距離のところにヨガ教室があるのを見つけた。
私はペーパー・ドライバーで、全く車には乗らない。夫から、私がいかに車の運転が向いていないか、再三いわれ、自分でもそう思いこんでしまったのだ。
私の下手な運転で、幼い長男にケガでもさせられては困ると思った夫が仕向けたのだ(…と思っているが、私の運転が下手なのは間違いない)。
誰かを傷つけはしないかとビクビクしながら、運転するのをきっぱりとあきらめた私は、歩けるところへは、できる限り歩いて行っている。
「ヨガってね、よく先生を選ばないといけないみたいよ~ なんか、心理的に変な影響を受けるひともいるらしいから」
そう心配してくれる友人もいた。
確かに、宗教がかったヨガ教室もあると聞く。だが、とりあえず自分の目と感覚で判断しようと思い体験してみた。すると、ほんの試しのつもりが、その日から私はすっかりヨガに魅力されてしまったのだ。
涙があふれた「死体のポーズ」
ヨガを教えてくれたのは、ヨガ歴10年以上のキャリアを持つRさんである。彼女のレッスンは、どれも簡単にとれるポーズばかりで、あっという間に1時間が過ぎた。
そして、レッスンの最後に、からだをリラックスさせる「死体のポーズ」のときのことだった。
その時、大の字に寝ころびながら、私は胸の奥からこみ上げてくる感情を、押さえられなくなってしまったのだ。目頭がたちまち熱くなり、涙があふれてきた。
「もう、どこへも行かなくてもいいんですよ。ずっとここにいてもいい。もう、なんにもしなくてもいい…」
彼女がそう語った時、さらに涙が流れてきた。
この「死体のポーズ」では、眼をつぶって静かに休む。Rさんは、寝ころんでいる参加者ひとりひとりの閉じた瞼のうえに、アイピューロ(眼用の小さな枕)を置いてまわる。
アイピューロのおかげで、涙ぐんでいる自分の顔を誰からも見られずにすんだが、こんなにも心が反応してしまったのには理由がある。まるで、
「貴女は大切なひとなのですから…」
といわれているような気がしたからだ。
レッスンの間、私は自分のからだを動かすことによって伸ばされていく筋肉や、ふと力を抜いた後の心地よさだけを感じ、自分自身の内面に集中していた。
病気をする何年も前に、ヨガの体験レッスンは受けたことがあった。しかし、そのときは、
「ヨガに精通しているひとはすごいなあ、びっくりするほどからだがやわらかい! こんなに難しいポーズも軽くできてしまうなんて、人間業とは思えない!」
という、感嘆だけが残った。
ヨガ指導者の柔軟な動きに羨望の眼差しを送り続ける反面、自分自身のからだといえば、ほとんど置きざり状態だった。ある程度、からだは動かすことができたが、なんだか気分がすっきりとしない。
レッスンが終わると、自分のからだに対して幻滅する気持ちだけが膨らみ、物足りなさが残った。
だが、Rさんの場合は、私がこれまで出会った指導者とは大きく違っていた。やさしいポーズだけを時間をかけて行い、しかもポーズとポーズの間の呼吸法まで指導する。
レッスンを開始してから最後の挨拶まで、一連の動きがすべてつながり、計算されているのだ。だから気が散らず、自分のからだの動きに集中でき、余計なことはほとんど考えずにいられる。
「自分が主役」になれるレッスンといってもいいだろう。流れるようにひとつのポーズから次のポーズへと、ゆっくりと移動するため、自分のからだの動きと呼吸だけ考えていればよい。不得手なポーズがあったとしても、できるところまでやる。すぐそばにいる他の参加者をほとんど意識することがない。
「ヨガは、瞑想と同じなのだ…」と、私は思った。
自分の内面をじっと見つめ、自分を大事に扱うように導かれていくようなレッスンだった。
「息(・)の(・)長い(・・)芸能人」という例えもあるように、息を長く吐く行為は、長く生きられることを意味する。ほんもののヨガに出会ってから、長い呼吸を、一日のなかで一時間でも意識的に行っていくうちに、今まで無意識に行ってきた呼吸そのものに注意するようになった。呼吸をもっとも大切なこととして、ヨガでもストレッチでも、重要視されるのにはわけがあるのだ。
「意識的に笑い顔をつくるだけで免疫力が上がる」といわれているのと同じように、脳もリラックスするのだろう。日中、そんな余裕さえないときは、寝る前に深呼吸をするだけでも、からだにいい影響を与えるらしい。
ヨガの効果を実感してから、目を閉じて静かに呼吸を整えるだけでも、心身の緊張がほぐれていくことを、なんとなく感じるようになった。
2016.12.10 Sat
カテゴリー:乳がんを寄せつけない暮らし / 連続エッセイ
タグ:身体・健康