からだが「理解する」ということ
ヨガに目覚めてから、よく思うことがある。ヨガのよいところは、日常のちょっとした時間を見つけて、すぐにポーズをとれることだ。もちろん、軽くストレッチするようなポーズでもいい。
「疲れを感じたら、無理をしないで休む」
というヨガの教えは、自分に無理を強いてしまいがちな私にとって、まさに肝に銘じなければいけない言葉だ。パソコンに向かいはじめると、気づかないうちに2~3時間も同じ姿勢で作業を続けてしまうことがよくあるからだ。
ヨガは正しいポーズを覚えるだけでなく、よい指導者との出会いによって、その思想を習得することに意味があるように思う。私のヨガの師であるRさんが、レッスン中にヨガの思想やその効果について、詳しく説明してくれるおかげで、頭でもよく理解ができるようになった。
ヨガは、そのポーズがどのようにからだに作用するのか、その動きの意図するところを理解してこそ、深く体得できるようになると私は思っている。気持ちがふさぎ込みがちなときも、ほんの少しでもヨガのポーズをとることで、気分を切り替えやすくなる。
ヨガのポーズはからだを緩めたり、引き締めたりするポーズが組み合わさっているため、普段延ばさない筋肉も刺激され、血流もよくなっていくのが実感できるのだ。
しかも、いつもは使っていないからだの隅々まで意識を向け、丁寧に動かしていくという行為は、自分を大事に扱うことにもつながる。
それはどこか子どもに対しての理想的な接し方と似ている。子どもを過保護にしてはいけないが、愛情をたっぷりと注いで、よく面倒をみてやる方が健やかに育つ。自分のからだも、自分自身の意識のもっていき方で、その感覚や機能を伸ばしていくことが可能なのである。
ヨガは私に「自分を愛する気持ち」の大切さも教えてくれた。自分を愛するとは、自分自身に力を貸すことであり、自分を救えるのは自分自身でしかないのだ。
ヨガのレッスンは、からだのどの部分を強化したいかで、そのポーズやレッスンの流れが異なる。なかでも「リストラティブ・ヨガ」と呼ばれるトレーニングは、心に及ぼす影響が強い。すでにアメリカなどでは、高齢者にも向いているヨガとして知られ、力を抜いて身をゆだね、ゆったりとしたポーズをとるのが特徴だ。
優しく心の内面にまで働きかけるポーズによって、優位になりがちな交感神経の働きを押さえてくれる。私は週に1回程度の割合で、レッスンに通っているが、ヨガを少しずつ生活に取り入れることで、心のねじれ(・・・)が解きほぐされていくような気がする。
自分のからだの内なる声を落ち着いて聞けるようになり、ヨガを終えた後には、何か大きなモノに愛され、守られている自分を感じることができるのだ。
「自分なりの健康法」をつかんだひとは強い
私はもともと「待つ」ということが大嫌いで、信号を待っている間や、エレベータに乗っている時間もイライラしてしまう性格だ。
しかし、そんなときにも、首を左右に伸ばしてみたり、背中の肩甲骨を意識的に寄せてみたりするようにしている。すると、そこに血液が流れるだけではなく、〈気〉も流れていく感じがする。
ヨガではそこに「空気が拡がる状態」というふうに意識するが、自分のからだのなかに「ゆらぐ空気がある」と思うだけで、そこがやわらかくなっていくのがわかる。
心に余裕がないと行き詰ってしまうのと同じように、からだにもこうした空間=余裕を生み出すような工夫が必要だ。こまめに疲労感を取り除いていれば、疲れが溜まりすぎてどうしようもない状態になってしまうのを防ぐことができる。
以前の私は、まとまった仕事が一段落すると、とたんに風邪をひき、寝込んだ。逆に、神経が張りつめたままで、眠れないということもよくあった。若かった頃は、それでもまた数日で復活できた。しかし、40歳を過ぎた頃から、からだがついていかなくなる。
一見、不規則で健康に無頓着そうに見えるのに、元気なひとがいる。それはもともと備わった体力や遺伝によるものと考えやすいが、実は見えないところで重ねた努力の賜物だったりする。
たとえば、作家の五木寛之氏は、昼と夜が逆転した生活を何十年も続け、健康診断さえうけたことのないという。にもかかわらず、あれだけの書籍を次々と刊行し、高齢になっても頭はさえ、誰とでも議論できるのは超人だからだと思っていた。
しかし、あえて表に出さないだけで、健康に生きるための自努力を、自分なりの方法で続けていることを本で知った。
「やはり人間に100パーセントの健康はない、ということ。人間は病気とともに生きている、病気の巣であること。それから自分の体のバランスを崩して病気を表に出すようなことをしないためには、なみなみならぬ日常の努力が必要だということ。その努力はかならず報われるのではないか、というふうに思う」(『人生案内~夜明けを待ちながら』)
五木氏は食べ物の重要性について、食事は24時間で考えるのではなく、1週間のなかで、必要な野菜を採りバランスのよい内容になるよう心掛けていることも記している。
長く活躍を続けられているひとは自分と向き合いながら、このような独自の工夫を重ねているから元気に生きられるのだ。
自分が望み、公言していた通り、百歳まで仕事を続けて生きた宇野千代さんは、執筆活動の合間に、よく部屋のなかをぐるぐる回って足腰を鍛えた。食べ物も肉食を好まず、野菜や果物を多く食べていることをエッセイに度々書いている。そして
「自分で自分にかける暗示ほど、恐るべきものはありません。それは人生の筋道を変える力があるのです」(『幸福の法則 一日一言』)
とあるように、自分にいい聞かせることの大切さを説いている。
こうした達人たちの健康法からも、学ぶことはなんて多いのだろう。
<写真のキャプション>
2017.01.10 Tue
カテゴリー:乳がんを寄せつけない暮らし / 連続エッセイ