パキスタン出身在米女性監督の長編デビュー作『娘よ』は、カラコルム山脈の雄大な自然をバックに、男性中心部族社会から決死の逃避行を図る母娘の姿を描き、「児童婚」問題に焦点をあてる。

監督・脚本・製作の三役を務めたアフィア・ナサニエルは、ラホールの大学でコンピューター・サイエンスを学び、国際機関で働いた後、コロンビア大学大学院映画学科で監督業を学んだ経歴の持ち主。40代半ばの女性で、自身、娘をもつ母親でもある。
トランスナショナルな監督の立ち位置を反映し、映画全体に、故国パキスタンの神話・伝説・風習・祭り等の〈ローカル〉色と、グローバル・スタンダードとしてのアメリカ映画的手法が程よくミックスされている。フェミニスト的視点をストレートに生かしているのも魅力。


それにしても、これほどストレートに、男性部族社会からの女の逃亡を描いた作品は初めてではないか?追手の男たちの狂気には、思わず笑いを誘われた。
とはいえ、少々、ご都合主義的展開もあるのが、どこかインド映画的牧歌性を漂わせ、ご愛嬌。ご存じ『テルマ&ルイーズ』(1991)は、セクハラ発言を繰り返すトラック野郎のトラックを炎上させたものだが、こちらは、なぜか唐突にド派手なトラックが現われ、母娘たちを助けることに。運転手のハンサムすぎる顔にも、笑いを誘われた。ある意味、オマージュだろうか?
監督インタビューによれば、アメリカで脚本を書いている時、娘を連れて逃げた勇敢な母親の話を聞いたことがヒントになったという。(註1)。

舞台は、パキスタン―アフガニスタン国境線上に沿ったパシュトゥーンと呼ばれる地域で、そこでは「パシュトゥンワーリと呼ばれる独自の慣習法・掟に基づいた名誉ある生き方が規範として尊重される」。

その「名誉(ナング)」とは、「客人歓待」「難民の救済」「血の復讐」「財産・土地の死守」等すべてを貫く概念で、その名誉が侵された時、血で血を洗う復讐合戦を避けるべく和解の手段として交渉材料に持ち出されるのが「zから始まる三つの財産:女性;ザンzan、金銭:ザルzar、土地:ザミーンzameen」だという(註2)。
女性はトップに位置するらしい・・・

本作のヒロイン、アッララキが命がけで守ろうとしたのは、こうした掟に基づき、部族間の調停の道具に差し出されようとした、わずか10才の娘の身体だった。


途中、悪鬼との一騎打ち等、ハリウッド的エンタメ要素が加味されるが、国際映画市場で生き残るには必要な手段とみた。

幻想的リアリズム―と監督の呼ぶ手法も、随所に生きている。

故国から離れたディアスポラの映画作家の常套手段といえるローカルな味つけが程よい。映画のクライマックスを彩る祭りのシーンは、ウルスと呼ばれ、アラビア語起源で「結婚」を意味する語だという。


2017年3月25日(土)〜岩波ホールにてロードショー!

映画『娘よ』公式ホームページ:http://musumeyo.com/



註1:http://www.indiewire.com/2015/10/director-afia-nathaniel-talks-dukhtar-pakistans-oscar-submission-about-fleeing-child-marriage-213120/
 2: 村山和之「『娘よ』の舞台と背景について パキスタンのかたち――国勢・宗教・社会・文化」(マスコミ用資料掲載)を参照。