子どもが行くことになったこども園(保育園と幼稚園を兼ねている園)は、いわば「自由系」である。

クラスは年齢混合。朝の小一時間をクラスで過ごす他は各自がやりたいことをする。

この運営に合うように園のレイアウトはクラスルーム中心ではなく◯◯部屋(工作部屋、おままごと部屋、体操部屋など)をメインとして作られていて、どこに行きたいかを先生に伝えて動くことになっている。制服の類はない。持ち物もほとんどなく、クレヨンや工作道具などは部屋に備え付けられている。

さらには給食すら一斉には食べず、お昼時間帯の食べたい時に食堂に食べに行けばいいことになっている。「好き勝手に遊んでいる」というのが見学した時の率直な印象だった。

入園説明の時、用意するものリストに「着替えの服」とだけあって枚数が書いていないので、何枚要りますかと尋ねた。すると先生はやや当惑気味にこう答えた。

「それは…子どもによります。食べこぼしやおもらしが多ければたくさん、そうでなければそんなに要りません。お子さんに合わせて用意してください」。

その通りです、あまりにも当たり前のことを聞いてすみませんでした、としか言えない答えだった。  

そしてもう一つ気になったのは「持ち物にはおなまえを書いてください」という言葉がどこにもないこと。あの面倒な作業が要らないならそれに越したことはないが…先の返事になんとなく出鼻をくじかれて質問を引っ込め、結局ほとんど名前を書かずに登園をスタートした。

そうして様子を見ていて気がついた。「おなまえ」はやはりなくてもいいのだ。およそ子どもの集団生活には持ち物に「おなまえ」は不可欠と信じていたが、「みんな一緒に◯◯」をせず、おそろいの道具やカバンや服などを持たないで生活すると、名前がなくても誰のものかは自ずと分かる。

「おなまえ」は集団生活に必須なのではない、私が知っていた集団生活が「おなまえ」を必要とする仕組みで回っていただけだった。

楽でいいし、自由でのびのびが何より、いい園に入れてよかったと思っていたある日、園で子どものものと同じ下着が落ちているのを見つけた。これは着て来ていないはずと思ったらやはり他の子どものものだった。

そこでふと気づいた。ここでのルールは「おなまえ不要」ではない。必要だと思えば名前を書き、そう思わないなら書かない、つまり「自分で考えて判断しろ」がルールなのだ。

そして子どもたちも同じ。「子どもなんだから自由に遊べればそれで十分、楽しくて満足に違いない」ではない。自由に遊べる代わりに自分が何をしたいのか言えなければいけない。

自分で考えて行動する経験をたくさん積めますように、そしてできればそれが楽しいと思えますように。園生活に期待することが少し変わった。

■ 小澤さち子 ■