Exultation is the going 歓喜とは出ていくこと
Of an inland soul to sea, 内陸の魂が海へと
Past the houses-past the headlands 家々を過ぎ―岬を過ぎ―
Into deep Eternity-深い永遠へと―(註)


生涯のほとんどを広大な屋敷内で過ごし、生前わずかに10編ほどしか詩を発表せず、無名のまま亡くなったアメリカの女性詩人エミリ・ディキンスン(1830-86)。だが、上記のような詩を読むと、彼女は、一人、書くたびに、魂の奥深いところへ出航していたのではと、想像力を刺激される。

詩人の魂は、詩を読むことによってのみ、触知可能になると思うが、近く公開されるテレンス・デイビスの映画『静かなる情熱―エミリ・ディキンスン』は、謎に包まれた彼女の生涯を、オリジナル脚本で再現し、時折、詩を読む声を画面にかぶせることで、詩人の孤独な魂に、オマージュをささげる。


I'm Nobody! Who are you?
わたしは誰でもない! あなたは誰?
Are you-Nobody-Too?
あなたも―誰でもない?
Then there's a pair of us?
じゃあ、わたし達お似合いね?
Don't tell! they'd advertise-you know!
内緒よ!宣伝されるもの―いいこと!
How dreary-to be-Somebody!
御免だわ―誰かである―なんて!

ディキンスンを演じるのはアメリカの人気TVドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」Sex and the Cityで知的な弁護士役を演じたシンシア・ニクソンCynthia Nixon。

19世紀後半、ボストンから120キロほど西の奥に入った、ピューリタニズム色の根強い町アマストで、信仰告白をせず、白眼視されながらも、精神の自由と孤高を保とうとする若き日のディキンスンを、楽しそうに演じている。妹や女友達と闊達な会話を楽しみ、笑いあう台詞が発する才気あふれるウィット、茶目っ気、社会批判精神は、前半部最大の魅力だ。

一方、保守的で権威を重んじる父の庇護の下でしか生きられず、生涯、非婚を通したディキンスンの〈女性としての生〉にも、映画は、後半、容赦なく焦点をあてる。ある種のリアリズムかもしれないが、女性詩人の〈魂〉を描くには、適切だろうか、と疑問を持たざるを得なかった。容貌コンプレックス、性に対する不安を強調するかのごとき演出にも疑問をもった。女性には誰でも、恋愛や結婚を通して満たされるべき〈女性性/femininity〉があるといった女性観が、そうした描き方を成り立たせているのではないか。それゆえ、父の死後、ある時期から、かたくなに他者との――特に男性との――面会を拒み、〈言葉〉を通してしか〈世界〉と交流しなくなる展開には、詩に生きる者の独善性が浮かび上がり、悲惨だ。

映画の中では引用されていないが、孤独とひきかえに、次の一節を紡ぎだした女性詩人にふさわしい〈生〉を描いてほしかった、気がする。
’The Soul selects her own Society-'
魂は自分の居場所を選ぶ


もっともよく知られている詩は強烈なアイロニーと共に引用されている。
’Because I could not stop for Death-He kindly stopped for me-'
わたしは「死」のために止まることができなかったので、「死」がやさしく、わたしのために止まってくれた――


同詩は次のように続く。
The Carriage held but just Ourselves
馬車に乗っているのは、ただ、わたしたち――
―And Immortality 
それと「不滅の生」

死後、引き出しの中に妹が見つけた推敲を重ねられた詩稿の束にこそ、「不滅の生」は委ねられていたに違いない。

静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」

2017年7月29(土)より岩波ホールほか全国順次ロードショー! 
© A Quiet Passion Ltd/Hurricane Films 2016. All Rights Reserved.


公式HPはこちら

「静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」
監督・脚本:テレンス・デイヴィス
出演:シンシア・ニクソン/ジェニファー・イーリー/キース・キャラダインほか
2016年/イギリス・ベルギー/英語/カラー/125分/シネマスコープ/ドルビーデジタル/DCP
原題:A QUIET PASSION 字幕:佐藤恵子 字幕監修:武田雅子
提供:ニューセレクト/ミモザフィルムズ 配給:アルバトロス・フィルム/ミモザフィルムズ 宣伝:ミモザフィルムズ 宣伝協力:テレザ/高田理沙
後援:日本エミリィ・ディキンスン学会/ブリティッシュ・カウンシル

註:文中の詩は、亀井俊介編『対訳ディキンソン詩集-アメリカ詩人選(3)』(岩波文庫、1998年第1刷)より引用。訳は、亀井氏訳。一部、変更を加えた。