
私たちは「男性的なもの/女性的なもの」という二元的思考にずいぶん苦しめられてきた。普遍的ではあるが、生物学的根拠に基づくものではない。なぜこんなものがあるのだろうか?女性には直感的にわかりにくいのだが、男性側の社会的要請から来ている。男にとっての「女」とは、「自分の子」を産んでくれる存在だ(「僕たち二人の子ども」という発想にはならない)。だが生まれた子が自分の子であるかどうかは基本的に男にはわからない。だから女を物理的に家に閉じ込めるなどして、妊娠出産能力を排他的に独占する。これが二元論の基盤にあり、イマジネール(想像界)を作り出してゆく。
熱い男と冷たい女、重い男と軽い女、寡黙な男とおしゃべりな女など、どの形容詞が当てはめられるかは文化によって異なり、実はそんなことはどうでもいい。とにかく男は肯定的に価値づけられ、女は否定的に価値づけられる(だから男は利口で女はバカなのね)。女が子に身体素材を伝える存在であるなら、男は精神や知性を伝える存在であるという精液の特権化も同様だ。
エリチエは人類学のフィールドスタディや親族研究を通してその思考や表象の生成システムを解明する。フェミニストではなくて研究者としての業績だから、説得力がある。婚姻理論などの難しい議論も含まれるが、挙げられている例は十分に面白い。女児は多胎や奇形と並ぶ「怪物」の一種だとするアリストテレスの生物発生論。生理とともにある日突然ジェンダーを変えられてしまうエスキモーの子ども。不妊の女が男とみなされ「父」になるヌエル族のケース。独身や死霊婚のもつ意味。現代の生殖補助医療の考え方など。
男女の差異化的思考は、民主主義やハイテクノロジーの現在に至っても何ひとつ変わらない。だが古代や未開社会のさまざまな例を見ることで、常識が脱構築されてゆく。
二項対立的なカテゴリーの内部で思考している限り、イデオロギーの批判はできなことをエリチエは教えてくれる。
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