家事調停委員の回想

著者:中島 信子

冨山房インターナショナル( 2017-07-26 )


 見渡す限りの自然の中に独居していても、人は一人ではいられない。身近にある草花を愛で、ふと現れる野生の動物を友とする。これが人の「性」であるのなら、人が家族を渇望する気持ちはどれほど強いものか。裏腹に、やっと手に入れた家族も時として憎悪することとなる。
 世は年月とともには移り変わり、人の在りようも変化していった。恋愛、結婚の形態、親子関係、経済観念、果ては道徳観念さえも。地方都市の家庭裁判所の調停委員として、離婚、遺産分割調停などに関わって28年。転勤もないまま星座の動きを定点観測するように、世の流れの中で行先を見失った幾多の家族に伴走した。
 調停委員は、調停が終了した時点で全ての資料を廃棄しなければならない。何かが残るとすれば、家庭裁判所の記録簿の中か、調停委員の頭の中だけ。ざっと数えて年に25件。10年で250件、30年で750件。なんと多くの家族と、その後の人生を左右する貴重なひと時に向き合ったことか。 例えば夫婦が離婚をする。相手への憎悪と被害者意識だけでは何の解決にもならない。子どもの権利も見失われがちになる。切実な養育費や面会交流の取り決めが口約束だけでいいのだろうか。
 ある方がこうおっしゃった。「長い家族史の一部の生き証人であったのなら、それを文章として残すのが経験者としての義務ではないか。」確かに。パソコンに打ち込んでは消し、打ち込んでは消し、守秘義務の重さに押し潰されそうになりながら、残すべきものは何かを繰り返し自問した。たどり着いた先は「家族問題の穏やかな法的解決の勧め」だった。
 守秘義務に殉ずれば、家庭裁判所の本当の姿は曖昧になる。しかし、この義務を死守しながらの説明責任は、家庭裁判所にたどり着いた当事者のみならず、その周辺にいる人たちに対しても必要であろう。