この夏は、ことのほか暑い。京都から熊本へ、どっちも暑い。避暑にいった南阿蘇も暑かった。

 出発の朝早く、京都駅のカフェでイタリア人らしい陽気な女性が、向こうの席から小1の孫娘に、しきりにウィンクを送ってくる。孫が「ハーイ」と応える。ホームで会うと、「これから広島へいくの。私はマリアよ。あなたは?」「ゆい」「Pretty girlね」と褒められ、大ニコニコ。「Have a nice trip!」と手を振って別れ、娘と孫と私は熊本へ出発。

 その日は娘の誕生日。94歳の私の母と90歳の叔母と、いつもお世話になる従姉妹にお礼を兼ねて、夜は近くのホテルで中華料理を囲んでお祝いする。昔から馴染みの「李白」のシェフが、わざわざ挨拶にきてくれた。冷酒を一合飲んですっかりご機嫌の母は、シェフにきちんと挨拶し、上手に話をつないでいく。いつもは、今いったこともすぐに忘れてしまうのに、と感心する。

  南阿蘇

 翌日、娘の運転で南阿蘇へみんなで向かう。2016年4月の熊本大地震で去年の夏は行けなかったけど、崩壊した俵山トンネルが昨年12月24日に開通、迂回して車で通れるようになった。南阿蘇鉄道は中松~高森間は開通したが、立野~中松間は開通の見通しが立っていない。国の予算がつかず、民営鉄道は後回しだという。地図のあちこちに通行止めの×印がついていて、ナビの通りには進めない。迷い、迷い、うねうねとカーブしながら車を走らせる。2キロもある長い俵山トンネルが、ほんとに崩壊したんだとわかる、大きな崖崩れの跡が残っている。トンネル近くで大規模な橋梁建設が、暑いさなか進んでいた。

 外輪山の山肌にも地滑りの跡が見える。57号線の阿蘇大橋が流され、葉祥明絵本美術館の近くの道も、放牧の牛がのんびりとたむろする米塚あたりも×印がついている。明治19年創業の垂玉温泉・山口旅館も休業中。与謝野鉄幹と晶子の歌碑がある、山あいの静かな、いい宿だったけど。

 2年前に訪ねた、森の中にある「のほほんカフェ・ボワ・ジョリ」に、もう一度いこうとナビに設定するが、「このあたり」としか出てこない。NHK「鶴瓶の家族に乾杯」に登場したおしゃれな店。周りにコテージが何軒かあるんだけど、迷ってしまい、わからない。田んぼの近くで、おじいさんに聞くと、「この農道を下っていくといい」と教えてくれる。畦道の坂をそろそろと降りていくと、農業用水が流れる細い、細い農道に出てしまった。「あっ、脱輪する」と娘が慌てる。落ち着いて狭い畦道のぎりぎりのところでバックオーライ。ようやく大きな道に戻れたけど、結局、そのお店は見つからず。

 早めに宿について、露天風呂で根子岳を眺めてゆっくりする。夕食後、孫は「くまモン体操」に夢中。下関からきたという同じ小1の男の子と仲良く遊んでいた。

 翌日は熊本空港近くのエミナースのプールで遊ぶ。母と叔母は宿でゆっくりと。この夏は阿蘇も暑い。朝夕はいいが、日中のあまりの暑さに、急に気候が変わって激しい雨が降りだすこともある。

 2泊3日を阿蘇で過ごし、午前中に熊本市内に入る。午後は用事がいっぱい。母の住所を叔母のところに移したので、市役所へ手続きに。9月末、母と叔母の介護保険被保険者証が切り換えになるとかで、その手続きも。「介護予防・日常生活支援総合事業」の導入で、目下、「地域包括ケアシステム」への移行が進められている。団塊の世代が後期高齢者になる2025年に向けて、介護保険から要支援1、2が切り離されるのだ。在宅での生活支援・介護予防を地域の老人クラブ、自治会、ボランティア、NPOに担わせるのだという。タテマエは「自助」「互助」「共助」「公助」というが、明らかに国は「公助」から手を引こうとしている。

 市役所の福祉課にはケアマネジャーの人たちがいっぱい。担当の要介護者の分をまとめて申請にきているらしい。1時間待つ。母は要支援2、叔母は要支援1の認定だが、二人とも介護サービスを受けていない。「何かあったら地域包括支援センターで再申請してください」といわれ、その足で近くの支援センターへ行く。主任ケアマネがいうには、「要介護の方は引き続き被保険者証が出るが、お二人とも介護サービスを受けておられないので、今後、サービスが必要となったとき、再度、申請してください。一度認定を受けておられるのでサービスをスムーズに実施できるようにします」と。熊本県はお金がないので、できるのはデイサービスか家事援助、といっても民間業者の配食サービスぐらいだという。ヘルパーの人材不足とボランティア養成もままならないとか。とりあえず母だけ再申請して、「その時は、どうぞよろしく」とお願いして帰る。

 母も叔母も今のところは身の回りのことを自分でできる。魚屋さんが週2回、おいしい魚をもってきてくれる。かかりつけ医にタクシーでいった帰りに、近くのスーパーで野菜を買う。消耗品は従姉妹に頼むと車でもってきてくれる。郵便局や銀行になかなかいけない。7月の台風で倒れた裏塀を直してもらった大工さんに損害保険のお世話になり、その手続きの確認と、年金その他のことで金融機関に連絡して、一応、片づいた。この生活がいつまで続くかわからない。「京都へおいで」といっても、なかなか「ウン」といってくれない。住み慣れた家で最後までというのが、ほんとは一番幸せなんだろうけれども。


 もう1日は娘と孫と博多へ。香椎で乗り換え、海の中道のマリンワールドへ。ずっと昔、いったことがある。松本清張『点と線』の舞台・香椎駅の踏み切りの向こうへ男女がフッと消えるシーン。その頃の香椎駅は昔のままの鄙びた駅だった。玄界灘と博多湾をつなぐ砂州の「海の中道」に立ち、「この向こうに朝鮮半島が続いているんだ」と遠い海を眺めたけれど。今はわずかに松林を残すのみ、レジャーランドと化していた。

 短い九州の旅を終え、京都へ戻る。孫の7歳の誕生日を祝って「ディズニー・オン・アイス」を見に大阪へゆく。「アナ雪」のラストシーン。エルサとアナの姉妹の愛が氷の城を溶かし、裏切ったハンス王子を、アナが「あんたなんか、大嫌いよ」とパシッと頬を叩くシーンに、思わず会場からパチパチと大きな拍手が起きたのが、なんともおかしかった。

 夏休みも終わり。さあ、いっぱいたまった仕事を片づけなくちゃ。暑さに負けず、夏を乗り切らないと。でも、ちょっと疲れたなあ。ああ、しんど。