たくましく生きる見本があれば…
本棚を整理し、余計なものは捨てる。人間関係も、ほんとうに自分が付き合っていきたいと思えるひととの関係を大切にする…そう決めてからは、気持ちが徐々に軽くなってきた。
しかし、洋服ダンスに溜まった洋服だけは、なかなか処分できないでいる。どうしても買った時の値段がしっかりと記憶に残っていて、ついもったいないと思ってしまうからだ。
なかには私が商社に勤務していた時代に着ていた30年以上前のワンピースやスーツまである。デザインはすっかり時代遅れになっているが、生地はそれなりに高級感がある。しかも流行は巡り巡っているので、古くさい感じはあまりなく、結構おしゃれだったりする。
私はその頃から、体重が大きく変わっていないせいもあって、捨てるにも捨てられないでいる。何かに作り変えてみたくても、私は洋裁どころか雑巾を縫うのも苦手である。
そこで私は親しくしている、帽子デザイナーの女性に相談してみた。すでに70歳を超えているが、声に覇気があり、からだ全体にエネルギーがみなぎっている。
その彼女が、今の私の雰囲気に似合うように、リフォームしてくれるというのだ。
彼女の手にかかると、タンスの奥に眠っていた洋服が、今風に見事に変身する。これまでジャケット、スーツやスーツの上着の脇を詰めたり、ワンピースの丈の長さを変えたりして直してもらった。極めつけは、独身時代に大枚をはたいて買った、イブニングドレスを生き返らせてくれたことだ。
黒と銀の糸を織り込んだ、個性的な生地のこのドレス、私はこれを着て何人もの友人たちの結婚披露宴に出席した。その思い出深いドレスから、フォーマルなチュニック風のブラウスと、揃いのバッグを作ってくれたのである。
おかげで、私は子どもの高校の入学式に、このブラウスを着ることができ、バッグも役に立った。ブラウスとバックの生地が同じことに、友人たちは「おしゃれだ」と口にし、それがリフォーム品だと知ると、しきりに感心した。
洋服を再利用すればゴミにもならないうえに、わずかだが友人の収入にもなる。そして洋服を大切にするという気持ちを共有しながら、新しい服をどんな風にしあげるかを相談しているうちに、互いに助け合っているという連帯感が生まれる。肝心のリフォーム代金は、新品のスーツを買うのと比べて、10分の1ほど。財布にも優しいうえに、お互いの距離を縮めるというおまけまでついてきた。
洋裁全般に優れた技術を持つ彼女は、ずっと独身を通し、経済的にも自立してきた。私よりひと回り以上も年齢がうえだが、相手の要求に親身になり、誠実に仕事をして生きてきたことが会話のなかからも感じ取れる。
だから私は時々、無性に彼女に会いたくなるのだ。
映画好きで、外出するときはとてもおしゃれに気を遣う彼女は、必要以上に着飾ることはしない。生き方に通じるその潔さは、彼女のファッションセンスにもよく表れている。
「よけいなものは、そぎ落とすことが大切なのよ。ゴチャゴチャとつけすぎのファッションは決して、美しくない!! だから好きじゃないのよ」
流行に振り回されることはないが、どこか今風に仕上げるセンスを身に着けている彼女の話には説得力がある。
彼女から学んだことは、歳を重ねると、シンプルが似合うということだ。様々な経験を経た自分に、もっと自信を持っていいということも教えられた。
着るもの全体を引き算の法則で、シンプルに仕上げる。ゴテゴテと飾り立てて可愛いのは若い女性だからであり、ある程度、歳をとれば自然と似合わなくなるということも。
たくましく生きるイメージを重ねていく
私は友達のなかに、彼女のような、元気にがんばる素敵な年上の女性がいることで、歳を重ねた自分を、リアルにイメージできるようにもなった。
私にとって、具体的なイメージとは…。
70歳になっても、現役でバリバリ仕事をしている。そして誰かの役に立っていることを実感する日々…(リフォームの魔術師、今の彼女の姿とまさに同じである)。
からだはいたって健康で、気持ちをわかちあえる友人にも恵まれ、何の不安もない…。
再びスペインにある「巡礼の道」を歩く旅に出る。フランスとの国境から大聖堂のあるサンティアゴまで、ゴール地点を目指す全長800キロのこの道を、私は何回かにわけて、歩き続けている。
「巡礼の道」では、国籍や宗教の枠を超えて、世界中からさまざまな世代のひとたちが歩く。自分の人生を見つめ直すためにやって来ている国籍の違うひとたちと、私は親しくなる。
彼らといっしょに一泊数ユーロを支払って、巡礼者用の簡易宿(アルベルゲスと呼ばれる)に泊まる。ともに食事をし、互いの想いを語り、笑い、私たちと仲間はまた歩き出す。まさに旅は道連れである。
途中で出会った仲間たちは誰ひとり脱落することもなく、「巡礼の道」をついに歩ききった。大聖堂前の広場で、重いリュックサックを投げ出し、私たちは肩を抱き合って喜ぶ…。
ここで現実に戻ろう。もう今から10年前になるが、私は「乳がん」がわかるひと月前に、世界遺産に関する海外調査のメンバーに入れてもらい、サンティアゴ(ガリシア州)で、インタビューや聞き取り調査をした経験があった。
それから友人たちと100キロだけは歩けたものの、そのままになっていた。簡単に行き来ができる旅ではないが、自分も必ず「巡礼の道」の800キロの道のりすべてをいつかきっと歩くのだと、心に決めていたのだった。
想いを、年月をかけて、焦らず、コツコツと旅を重ねながら実現させていく。願いがかなった時に得られるだろう感情まで、イメージできるほど、私の想像力は広がり、具体的に映像化されしっかりと心のなかにある。
未来の自分に心躍らせるとき、不思議と老いていくことへの恐怖が薄れていく。50代後半の私は、鏡に映った自分の顔を覗き込むと、眼尻のシワは増え、顔全体にたるみが出ている。
しかし、歳をとったからこそ与えられた、このシワのひとつひとつが、私が生きてきた証であり、大切な私自身の作品でもあるのだ。
老いを恐れることはない。それもはじめての経験であり、新しい世界への冒険だと思って、楽しもう。生きていればこそ、できることなのだから。
2017.09.10 Sun
カテゴリー:乳がんを寄せつけない暮らし / 連続エッセイ