夕暮れのサンティアゴの街並み

“雲”だべがど、おら、おもたれば やつぱり光る山だたぢやい

南米チリの首都サンティアゴは5,000メートル級のアンデス山脈を臨む南米有数の大都市です。
春を迎えてもなお白い雪を被ったアンデスの頂きは、まるで雲のように、現代的な高層ビルの隙間から見える空に浮かんで見えます。そんな非現実的な光景には、宮沢賢治の有名な詩「高原」(『春と修羅』)の、光る山々を海に見紛う一節を想起させられます。
わたしは2016年10月末から南米チリ共和国の首都サンティアゴで夫、2歳の息子、それに7歳と12歳の三毛猫(茨城生まれ)と暮らしています。生まれも育ちも北国岩手・花巻。進学や就職による引っ越しで、茨城、千葉、東京と徐々に南下を繰り返してきましたが、このたび一挙に南半球まで来てしまいました。
 わたしはジェンダー研究を専門として、東北・岩手の女性たちのフェミニズムについて研究してきました(参照 ミニコミと私)。
海外を研究のフィールドにしたことはなく、海外暮らしの経験もありませんでした。幼児を連れてのはじめての海外暮らし。チリの公用語であるスペイン語を一から学びつつ、日本とはまったく異なる環境のなかで日々奮闘中です。
 今回から担当する本エッセイ「南米チリ・サンティアゴ見聞記」では、サンティアゴでの暮らしのなかで見聞きした出来事、気がついたことや出会った人々について記していきます。エッセイを通じて、変わりゆくチリのいまを、現地在住者の目線で伝えていければと思います。

チリってどんな国?

さて、みなさんはチリというと何を思い浮かべますか?
近年の日本ではチリワインが一番なじみがあるでしょうか。サーモンやウニなどの海産物もスーパーでよく見かけるようになりました。三陸地方に大きな被害をもたらしたチリ地震(1960)による津波を思い出す方も多いと思います。
また、世界史に詳しい方なら、民主的手続による世界初の社会主義政権となったアジェンデ政権(1970~1973)と、続くピノチェト軍事独裁政権(1973~1990)下の人権侵害の歴史を知っているでしょう。
ちなみにこれらの歴史を扱ったのが、チリのドキュメンタリー映画の巨匠であるパトリシオ・グスマン監督『光のノスタルジア』、『真珠のボタン』、『チリの闘い』です。昨年、日本でも公開されています。

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飛行機から見たアンデス山脈

現在のチリは、天文学の世界的拠点でもあります。北部にあるアタカマ砂漠には日本をはじめ世界各国が天文台を建設しています。わたしが一家でチリに引っ越した理由も、天文学者である夫がチリの天文台で働くことになったためです。
南米大陸の西側に伸びる、全長4600キロメートルにおよぶ細長い国土をもつチリ。北部にはアタカマ砂漠、東には太平洋、西にはアンデス山脈、南にはパタゴニア地方と、厳しくも美しい自然に恵まれた国です。
チリの伝説では、「神が世界を創造し終わったとき、いくつかの美しいピースが残っていることに気が付いた。河川、谷、海と湖、氷河と砂漠、山々と森林、そして牧草地と丘陵。こんな美しい物を捨てておくよりは、世界の最も辺鄙な場所にまとめておこう。そうしてチリが生まれた」と言われているそうです。

公園をつなぐ橋に植えられたジャスミンの花が盛りを迎えています

いまチリは春まっさかり。8月下旬は東京でいう2月から3月の雰囲気で、桜に似た花が街を彩っていました。
現在(9月下旬)は4月から5月上旬ごろの陽気でしょうか。さまざまな花が盛りを迎え、いい香りが漂っています。
街ゆく人の服装はというと、ダウンジャケット姿と半袖・タンクトップ姿が混在しています。寒暖の差が激しいこともあるでしょうが、チリの人は季節に関係なく、その日の気候や自分の感覚に合った服装をする傾向があるようです。冬でも日中暑ければタンクトップやキャミソール、真夏でも肌寒ければダウンジャケットにブーツ姿の人をよく見かけます。日本人なら人目と季節感を気にして、「もう4月だからダウンジャケットはやめよう」とか、「いくら寒くても8月にブーツはちょっと・・・」となるところですよね。

南米の優等生

チリは新自由主義的な経済政策のもとで堅調な経済発展をとげ、“南米の優等生”といわれています。2010年には南米諸国のなかでは初めて“先進国クラブ”OECDへの加盟を果たしました。 今年は日チリ修好通商航海条約締結120周年の節目の年です。経済発展と生活環境の改善を背景として、かつては単身赴任を選択していた日系企業の駐在員も、近年では家族を帯同して赴任するケースが増えているようです。2010年には108人にすぎなかった在留邦人は、2016年には1,660人にも増加しています(外務省ホームページより)。
チリに住んでいると話すと、よく尋ねられるのは「治安ってどうなの?」ということ。チリの治安は南米諸国のなかでは良好といわれています。とはいえ、殺人発生率は日本の約10倍。スリ、盗難、強盗などの犯罪はとても多いです。市内のマンションや戸建ては有刺鉄線(高圧電流が流れるものも)付きの高い塀で囲われ、店舗の窓には鉄格子がついているところもあります。
治安問題の背景には、チリの社会が抱える大きな格差があるでしょう。

OECD 諸国一の格差社会

OECD 諸国のなかでもっとも国民のなかの経済格差が大きい国はどこだと思いますか?アメリカでしょうか?
実はチリなんです(2位メキシコ、3位アメリカ。2014年のデータによる)。
ジニ係数(所得分配の不平等さの指標。平等であるほど数字は0に近くなる)をみると、チリは0.46(日本0.33)にものぼり、OECD諸国の中でもっとも所得格差が大きい国です。 先頃、チリ国内の地区別生活環境調査の結果が発表されました。
トップ3はサンティアゴ市内の、高級住宅街と呼ばれる3つの地区。
市内北東部に位置するこれらの地区は、日系企業の駐在員とその家族など、わたしを含めた在チリ日本人のほとんどが住んでいる地区になります。日系以外の外国企業関係者とその家族も多く住んでおり、街を歩いていてもスペイン語以外の言語が聞こえてきます。
治安も比較的良好で、スマホで音楽を聞きながら通勤する人、カフェのテラス席でノートパソコンを開いて仕事する人、夜間にも犬の散歩やジョギングをしている人々を見かけます。
オフィス街には現代的な高層ビルが建ち並び、ベンツやアルファロメオのような高級車が道を走っています。大型ショッピングモールには欧米のハイブランドが数多く店を構えます。公園はきれいに整備され、子どもを安心して遊ばせることができます。

 オフィスビルと高層マンションが建ち並ぶ

休日の公園でスポーツを楽しむ人々。ビルの向こうにはアンデスの山が見える

オフィス街のスターバックスで談笑する人々

そして、生活環境のワースト3に位置するのも、すべて同じくサンティアゴ市内の地区。市内南部に位置する、低所得者層が住む地域です。これらの地域には、いまにも崩れ落ちそうなバラックが所狭しとひしめき合い、塀は落書きだらけで、道には放置されたゴミが散乱しています。 治安も各段に悪くなります。
普段わたしたちが生活している北東部とは車で3、40分ほどの距離。しかし同じ市内とは思えないほどの環境のギャップがあり、通りがかるたびにぎょっとさせられます。
ある冬の日、サンティアゴ南部にある動物園へ行くために、このバラック地区を電車で通ったときのこと。車窓を通り過ぎる茶褐色の風景を眺めていると、ときおり鮮やかな色彩が目に飛び込んできました。
それはカラフルで可愛らしい児童公園。真新しい遊具のある子ども用の公園が、数区画ごとに設置されていたのです。詳しい事情は分かりませんが、福祉の一環でしょうか。公園は子育てに欠かせない公共設備。次世代への投資の側面がありそうです。
子どもが遊べる公園がどんどん無くなっている日本との違いを感じました。

格差とエスニシティ

こうした経済格差はエスニシティの問題と不可分のものです。
チリは、アルゼンチン、ウルグアイとならび、欧州からの入植者の子孫が人口のほとんどを占める、白人がマジョリティーの国。先住民(インディヘナ)の血は濃くありません。
わたしたちが住んでいる地区を歩くと、すれ違うのは白人が圧倒的多数。企業の駐在員とその家族とおぼしき東アジア人もちらほら見かけます。
そして、中米系の移民と思われる黒人は、ほとんど例外なくマンションやショッピングモールの清掃、道路工事などの仕事に従事しています。
少し郊外の方へ行くと、明らかに道行く人の肌の色が濃くなり、インディヘナの血が濃い顔だちになるのです。
経済格差が人種や民族の差別構造と結び付いていることを実感します。


現在、チリは女性大統領を有しています。次回のエッセイではミッチェル・バチェレ大統領がおこなってきた、女性の権利やジェンダー平等、セクシャルマイノリティに関する政策についてレポートしたいと思います。