満州開拓団の真実: なぜ、悲劇が起きてしまったのか

著者:小林 弘忠

七つ森書館( 2017-08-03 )


 特定秘密保護法、集団的自衛権、武器輸出三原則の撤廃、ODAを他国軍にまで支援拡大し、自衛隊の南スーダンの駆けつけ警護、「共謀罪」の強行採決といった政策は、満州開拓団の過去をないがしろにしています。
 今から81年前の1936(昭和11)年、「満州農業移民100万戸移住計画」という大量移民計画が国策となり、全国の農村に満州行きを勧誘するポスターが、頻繁に貼られました。「満州に行けば、必ず20町歩(20ヘクタール)の地主になれる」と夢を抱かせ、終戦までに27万人もの人が渡っていったといわれています。
 1945年8月9日、ソ連軍が満州へ侵攻。成人男性は軍に召集されており、開拓団に残されていた女、子ども、老人たちの逃避行が始まります。日本人に抑圧され、土地を追い出された満州の人たちの恨みが日本人、開拓団に向けられ、略奪や襲撃にも合います。
 「生きて辱めを受けるより、潔く死を選ぶほうが日本人らしい」と言って、各地で集団自決なども起こり、飢え、寒さによる死を含め、開拓団で亡くなった人は8万人にもおよびます。
 その中の一つに、長野県下高井郡出身者で構成された高社郷の500人にのぼる集団自決があります。軍隊の庇護も受けずに、現地に取りのこされ、逃げまどったあげく自決したのは、どんな人たちだったのか。本書では、高社郷集団自決事件がどうして起きたのかを中心に、「満州開拓」とはいったい何だったのか。なぜ、悲劇が起きてしまったのか。元毎日新聞記者が記します。