初頭の地図は、この映画の舞台であり、映画が作られた国であるジョージア(旧名グルジア)である。コーカサス山脈の南に位置し、我が国の五分の一の面積に約400万の人々が暮らしている。評者などは今でもグルジアという呼び名のほうに慣れていて、ジョージアといえば、米国のジョージア州のイメージがまだまだ強い。
2016年10月に行われた選挙で、クヴィリカシヴィリ首相の率いる「ジョージアの夢・民主ジョージア」が議席の多数を獲得し、以降国名がジョージアとなった。またこの国は国内に分離独立を主張するアブハジアと南オセアニアを抱え、ロシアとの関係もあり、近年はずいぶん落ち着きをとりもどしているものの、複雑な状況が完全に解決されたわけではないようだ。

ところで時はさかのぼること1992年。「当時はとても厳しい状況に置かれていました。電気、ときには水道、食べ物もなく、あらゆるものが不足して(略)、、人々は無力感に包まれて、いつも声高でイライラしていました」(ナナ・エクフティミシュヴィリ監督)という現状下での、監督が体験した個人的な思い出の物語である。
ストーリーは、1992年ごろ、当時の大統領とその反対派の間に市街戦が起きたりしていたが、ほんの一時期平穏を取り戻していたという状況下で始まる。だが配達される食料には長い行列ができ、それを巡って絶えず喧嘩、街には不穏な空気―特に相互不信―が漂っていた。
エカとナティは仲良しの14歳。エカは姉と母の暮らし。父は刑務所にいる(らしいのだが、最初はわかりにくい)ナティカの両親は仲が悪く、父親がアルコール依存で喧嘩が絶えず、家庭はすさんでいる。でも仲良し二人組は元気に学校にかよい、官僚的な教師に反発する、どこにでもいる明るい女子中学生。

ナティアに好意を寄せる少年が二人いる。一人はラド(ハンサムで優しい)で、もう一人はコテ(不良仲間とつるんでいる)だ。コテと仲間は食料行列でも勝手な振る舞いをみせる。ラドは叔父を尋ねてモスクワに行くとき、弾丸が一発だけ入った拳銃を保身のためにナティアに渡す。それだけ不穏な空気のもとにあるということだろう。この拳銃が物語の中で象徴的な意味を持つのだが、少し話をすすめよう。
さて、ナティアは、エカを帰路途中で待ち構え何かといやがらせをするコプラと仲間をその拳銃で脅すようにエカに渡すが、エカはあるとき仲間にコプラがいじめられている場面に通りかかり、目前で拳銃を出し、逆にコプラを救うのである。
エカの父親が刑務所に入っている理由が、コプラの父親を殺したからだという噂が
あるが、母親は否定する。不明な理由のせいなのかどうか、エカは父親の面会を拒否している。本当の理由は不明のまま残される。

あるときいつものように配給に並んでいたエカとナティアのなかにコテと仲間が入り込み、ナティアを誘惑して結婚にまで持ち込む。まだ14歳のナティアがなぜ不良のコテとの結婚を承諾したかは、よくわからない。しかしナティアは学校にも行けないという結婚の束縛をすぐに感じるようになる。少女の早い結婚が、当時のグルジア(ジョージア)でも起きていたことに驚かざるを得ない。ナティアの受諾もその華々しい結婚式も理解しにくいまま、後の監督の言葉で納得。「女の子は結婚のために誘拐されました。(略)私が10代だったころ強制結婚による被害者の施設に行ったときのことを忘れません。少年が少女を誘拐すると、少女は少年が本当に愛していると考え、受諾し結婚するのです。そして彼女の家族も結婚式では拍手喝采を送るのです。現在は、誘惑婚はほとんどありませんが」(監督)そうだったのだ。
ここから物語は意外な展開を見せる。誕生日を祝ってもらえないナティアはエカと実家で祖母の作ったご馳走を食べていると、帰ってきたラドが外にいるのに気づく。ナティアを探しに来たコテに見つかったラドは、コテとその仲間に刺殺される。激怒したナティアはエカから拳銃を奪い返し、コテを撃とうとするが、それを察知したエカは渡そうとしない。そしてエカは結局拳銃を沼に投げ入れてしまうのである。

監督、ナナ・エクフティミシュヴィリさんは、1978年生まれの新進気鋭の女性監督であり、映画全体にフェミニズムとまで言い切れないものの「女性の眼」が行き届いている。エカとナティアの友情、結婚による女性の権利の剥奪のように、明確にある女性差別への抗議などが声高に主張されてはいないが、十分に読み取ることができる。そして拳銃の象徴性。拳銃は戦争、つまりは暴力や恫喝の道具であり、平和の障害となるものである。監督は、エカという少女に、拳銃の放棄を通して、人々の相互憎悪の連鎖を止め、お互いを赦し平和への道を模索することを託したようである。すばらしいメッセージと言えるではないか!
本作品は、ベルリン国際映画祭国際アートシアター連盟賞、モントリオール・ヌーヴォー映画祭審査委員特別賞、その他たくさんの国際賞を受賞している。
本映画を観賞していただいたうえで、パンフレットをお買い上げいただき、冊子に紹介された「映画監督の椅子に坐る女性たち―ジョージアの女性監督について―」と題されたジョージア映画遺産保護協会会長、マリナ・ケレセリゼさんの記事に目をとめていただきたい。どこでも、差別に抗して女性が頑張っている姿に出会える。
キャスト
エカ・ヒザニシェヴィリ:(リカ・バブルアニ)
ナティア・ザリゼ:(マリアム・ボケリア)
コテ:(ズラブ・ゴガラゼ)
ラド:(ダタ・ザカレイシュヴィリ)
スタッフ
監督:ナナ・エクフティミシュヴィリ、シモン・グロス
脚本:ナナ・エクフティミシュヴィリ
ジョージア・ドイツ・フランス合作 102分
2月3日(土)から3月16(金)東京神田神保町 岩波ホールでロードショウ。
映画の公式サイトはこちら
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