女優シャーリー・マクレーン本人の人生のアルバムからとってきたような冒頭の写真コラージュがノスタルジックで美しい。愛らしい少女時代から、元気な南部のアメリカ娘風二〇代。『ハリーの災難』で映画デビュー後、『アパートの鍵貸します』(60)で世界を魅了した頃だ・・・

オールド・ファンを取り込む戦術にしてやられ、スクリーン上の女優マクレーンの若き日に見とれていると、やがて所在なげに窓辺にたたずみ、自分が〈用済み〉になった〈外の世界〉を見つめる本作のヒロイン、ハリエット・ローラーの後ろ姿が映し出される。

マクレーンの映画を見続けてきた者なら、当然、その後ろ姿には何かを感じてしまう。それを十分に計算に入れた、巧みな冒頭だ。

とはいえ、この計算、かなり女優マクレーンに〈おんぶに抱っこ〉的。そして、実際、映画は、この後、かなり調子にのって、七〇年代フェミニズム以後、彼女が時代の変遷と共に演じ分けてきた〈女の生き方〉関連の役柄――『愛と喝采の日々』(77)のキャリアをあきらめ娘に夢を託した〈妻・母>役、『愛と追憶の日々』の娘との葛藤を抱える〈強い自立した母親〉役――、コミカルで人情味ある女優イメージ、そしてハリウッドでキャリアを築いてきた彼女自身の生の軌跡までも取り込み、進んでいくのだ。

もちろん、よくいえば、彼女の女優人生に捧げる映画、といえなくもないが――


そしてまた、八〇代の女優マクレーンが、見事にそれに応えている(いや、応えすぎっ!うますぎっ!)。時には、自身のかつての役柄のパロディを演じてみせたりもする。余裕の演技だ。

しかも、次第に役柄を越えて、自身の〈強さ〉と〈かっこよさ〉を輝かせ始める。いやはや、本作の男性監督(註1)や脚本家(註2)とは、人間としての器が違う、と言いたくなりますね。

で、始まるのが、超支配的(control freak!)かつ究極の〈自己中〉、キレ味よい辛辣さと、最後には人を惹きつけずにはおかない、そして何より孤独を引き受け最後まで強く生きぬく姿勢も見事なマクレーン/ハリエットの話なのだ。

と、ここまで書いてきてふと気づいたけど、もしかして、ハリエットって、デビュー作『ハリーの災難』(原題:The Trouble With Harryのタイトル・ロールのもじりか。

さてさて、本作で彼女が演じるのは、元ビジネス・ウーマン。1930年代より広告の世界で凄腕を発揮し、後に追放されこそすれ、男性社会で戦い続けてきた女性だ。そのため、なんでも完璧に自分のコントロール下におかないと気がすまない。物言いも完璧上から目線。それで、周囲から浮き上がり、今や孤独感にさいなまれている。

とはいえ、そこで立ち止まるマクレーン/ハリエットではない。

なにしろ、”Never give up hope, even if my chance is small"なんて歌詞が聞こえてくる超ポジティヴ・シンキングなアメリカ映画なのだ。ポップな歌詞に耳を傾けすぎると疲れてしまうが、人生の大先輩・マクレーンが口にすると、メモをとりたくなるほど、かっこよく響くから不思議。

そして彼女は、突き進むんですね。自分の人生を、最終段階で〈充実〉させることに。地元新聞社に乗り込み、追悼記事担当女性記者アン(アマンダ・セイフライド)に命じて、生前〈追悼記事〉obituraryを書かせる方向へと。まさに〈究極のセルフィー〉!

いやはや、煎じ詰めれば、金と権力を見せつけ、空虚な人生の〈書き直し〉を図り、まんまとそれに成功してみせるアメリカ流・人生の最終意義の見つけ方ってやつなのですが――

いやもう、とにかく、シャーリー・マクレーンあってこそ!

記事を書くために取材を重ね、彼女の〈泣きどころ〉らしき〈娘との関係〉を探求するべく共に旅をする女性記者アンがそうであるように、〈若輩〉ものの女性観客としても、次第に彼女の存在感に惹きつけられてゆく。そして、彼女がアンに向かって諭す、自己啓発本からひっぱってきたような台詞の数々に、不覚にも、励まされたりなぞする。

主客が逆転したような邦題がまぎらわしいが、もちろん、主体は、追悼記事を書く若い記者にあるのではなく、シャーリー・マクレーン/ハリエットの側にある。

原題もThe Last Word. マクレーンが観客に向け、スクリーン越しに遺す、これが〈最後の言葉〉なら、それほど〈彼女〉にふさわしい言葉はないだろう。 

彼女は確かに言っていた。"I am who I am."

監督:マーク・ペリントン キャスト:シャーリー・マクレーン、アマンダ・セイフライド、アン・ヘッシュ、トーマス・サドスキー、フィリップ・ベイカー・ホール、トム・エヴェレット・スコット、アンジュエル・リー
配給:ポニーキャニオン/STAR CHANNEL MOVIES
提供:ポニーキャニオン・東北新社
©2016 The Last Word,LLC.All Rights Reserved.

2月24日(土)シネスイッチ銀座、新宿ピカデリーほか全国公開

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註1:50代半ばのマーク・ペリントン監督(1962~)はミュージック・ビデオの監督でもありU2、マイケル・ジャクソン等と仕事をしてきた後、映画・TVでも注目されたらしい。製作会社ベリントン・フィルムズは、「革新的なコマーシャルやミュージックビデオを製作するアーティスト主体の会社」なのだそう。彼曰く、「彼女は『愛と追憶の日々』に登場したオーロラ・グリーンウェイの25年から30年後みたいなものなんだ。人生の終わりに近づいてどれくらい支配的な女になっているか想像できるだろう」。←これで、本作の〈みどころ〉のひとつ、娘との再会場面での妙な〈オチ〉の理由がわかった気がする。私は少し笑えたが、試写室はほぼ、〈し~ん〉状態。伏線もあったにせよ、娘の描き方とそれに対するハリエットの反応が理解不能だったのだろう・・・70年代フェミの問題、監督、ひとごとですませてるナ・・・久々に娘デボラ・ウィンガーとの競演『愛と追憶の・・・』を見直してみようかな。30数年ぶりに、マクレーンの表情/演技に注目しながら。

註2: 男性脚本家スチュアート・ロス・フィンクいわく「シャーリーほど嫌な女と脆さとユーモアと共感性を兼ね合わせている女優はほかにいないんんだよ。いつの時にも誰よりも一番頭がよくて、さっと辛辣な言葉を発して、絶妙なタイミングで眉を吊り上げて不信感を表現する。彼女がつくりだす人格は、アメリカの映画にはなくてはならないものなんだよ。そしてそれらの人格が映画の後どこに行くか興味があるんだ。僕は、彼女がつくる人格が生き続けるのを見るためにこの作品を書いたんだよ」

(監督・脚本家の言葉は、マスコミ宣伝資料『あなたの旅立ち、綴ります』pp.10-11「プロダクションノート」より抜粋)