「もう大丈夫ですね」  レントゲン検査、マンモグラフィー、そして触診をしてくれた乳がんの専門医から、そういわれて、私は微笑みながらも思わず涙がこぼれた。満面の笑顔の医師にお礼を言うと、「私も嬉しい」と答えてくれた。実は、年に一度の定期検診はとても億劫だ。正直にいえば、もし何かいわれたら、どうしようと心の底ではビクビクしている。いい歳をしていつまでも肝っ玉がすわらない。だから、心配ないとわかると、ほっとして力が抜け、感情がこみあげてくる。クリニックからの帰り道、身をさすような冷たいビル風が吹き抜ける東京で、今、こうして生きていられることのありがたさをかみしめて歩いた。
 「生きていたい」と切なる願いを胸に抱きながら、その想いがかなわなかったたくさんの女性たちがいるのだ。私は生きているのだから、できることをもっとやらなければ、申し訳ない、そんな気持ちがわきあがってくる。このところ、つい不平不満を口にしてしまう自分がはずかしくなった。大した才能や能力があるわけではない私でも、何か役目があるはずだと、このエッセイを続けさせてもらったことを、あらためてありがたく思う。

 今年で、乳がんの手術をしてから10年目に入った。あっという間の年月だった気もするし、長かった気もする。それでも病気を告げられて死の恐怖に怯えていたあのとき、ひたすら「もっと生きたい」と思った、あの日の感情は昨日のことのように思い出すことができる。乳房を切除した手術直後の私はひとり自宅に引きこもり、ちょっとした外出すらろくにできなかった頃の気持ちを次のように綴っている。

 「乳房を再建すると決めて、ようやく実現してから、今まで無意識に見過ごしていたことでも、それが自分にとってどんな意味があるのか、ひと呼吸おいて考え、災いや苦労でさえ、自分にとっては必要なことであり、ひととの出会いも偶然ではないことに気づいた。自分は、何の役に立つのかやってみよう。すぐに結果はでなくても様々なことに挑戦していくうちに、自分の感性にフィットするものと巡り合えるはずだ。ダメな自分を責めない。時間をムダにしない。イヤなことがあっても、こんなこともあるのだと平常心を失わない。寝て、笑って、人を喜ばせて、自分も笑う。相手が喜んで自分も嬉しいことは何かを考える。すべてのことに意味を見出していこう。出逢った人をどれだけ大切に思えるか、日々、自分を試してみよう。『一期一会』を胸に刻み込み、いい人間関係を築いていこう」

 こんな気持ちとは裏腹に、最近の私といえば、
「望んでいた仕事に就いていない」
「たいした収入を得られていない=経済力に欠ける」
「うまくひとと繋がれない」
そんな思いがぐるぐると頭を駆け巡ることが増えた。元気でいられることが普通のようになってくると、またどこかで自分自身を否定し、責めている。つまり、どこまでいっても、自己肯定感をしっかりと抱いていない人間であることに気づく。

 男性でも女性でもない友達がいう。
「思い描いていた仕事ができていないって? それは社会的な評価を気にしているから。誰かに認められたいと思っているからじゃないの? 失敗も多かったけれど、今までよく頑張ってきたじゃない。今、与えられている仕事のなかで、自分が蓄えてきた経験値や能力を生かせばいいのよ。」
「収入が少ないといっても、生活ができて、毎日、食べるものにも困らず生きていられるのだから、ありがたいと思いなさい。食べることにも困っているひとたちが、この世界にはどれくらいいるのか知っているの?」
「人付き合いがヘタなのは、今にはじまったことじゃない。それでも、たくさんの魅力的なひとたちと出会えている。それで十分。心が通わないひとたちと、うまくやっていこうなんて、無理をするのはやめなさい。何よりもまず、自分がいつも楽しい気分でいること。そうすれば、瞳が輝いてくる。つまらないひとも寄ってこないはず。もっと自分のことを認めてやりなさい」
 この友達とは、もうひとりの私だ。彼女は、亡くなった父とそっくりの語り口であり、物事を断定して発言する強さは、厳しくしっかりものの母そのものでもある。その母も、もうこの世にはいない。
 生命(いのち)はつながっているのだと、もうひとりの私は、伝えているのかもしれない。私のからだのなかには、私に無償の愛と力をくれたひとたちの想いが生きているのだ。 自分という存在をどう扱っていくのか。誰かを支えられる存在になれるのか。それはこれから私がどう生きるかにかかっている。
 先日、分子生物学の福岡伸一さんの本を読んでいて、はっとした。「生命体は閉じた環ではない、開いた環である、たえず自らを分解しながら、自らを合成している」と。この言葉によって、からだの中の知られざる宇宙へと想いを馳せた私は、何十秒かの間、生かされている不思議に、めまいに似た感覚に襲われた。からだが浮いていくような浮遊感。自分はただのほんの小さな生命体でしかなく、宇宙空間から見れば、一瞬の光にも満たない存在にすぎない、そのはかなさ。それでも生きる意味とは何なのか。
そう考えると、小さなことに気をとられている、自分の愚かさ、バカバカしさが見えてくる。知らないこと、わからないことだらけの世界。まだまだ知りたいことが山ほどある。  いつまでたっても〝へなちょこ″な私だからこそ、書家の石川九楊先生の言葉を、今夜もかみしめよう。
「夜の沈黙(しじま)の中でひっそり静かに墨を磨れ 心細かったら今も、どこかで同じように生きることの悲しみと苦しみを織り込むように仕事をしている人が間違いなくいることを信じて墨を磨れ」

 日々の私は、無心で筆を動かすことで、なんとか、この宇宙に溶け込もうとしているのかもしれない。こうして生かされている私。だからこそ、生命の原点を見つめ、生き直そうと決めたときのことを振り返る意味でも、年に一度の検診の時期は欠かすことができない。単にからだの状態を確認できるだけではなく、心を整える機会ともいえる。病気を恐れることなく、現実にひるむことなく生きていくためにも、ずっと検診を受け続けようと思う。
 何度となく書いてきたように、近年、乳がんに罹る女性は増え続けている。発病の原因については様々な要因が指摘されているが、決定的といえるものはない。だからこそ、定期的に自分のからだをチェックする必要があるのだ。自分だけは、病気にならないという、保証はどこにもなにもないのだから。

 私のように乳房を失った女性のすべてが、あたりまえのように「乳房再健」ができる社会になるように、願いを込めながら、みなさんに次の言葉を贈ります。
「どうしても、あなたに伝えたいことがあります。
 あなたはひとりではありません。
 誰かがどこかで、きっとあなたを見守り、応援してくれているのです」
私の体験をお話する機会があれば、喜んで足を運びます。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。 あなたにこの気持ちを伝えられて、私は幸せです。

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