
玄関のベルが鳴る。施錠を外して、ドアを開ける。特高が立っていた。来てくださいという。唐突すぎて、どんな上着や靴がふさわしいのか分からない。後ろに立つ人に、どんな表情を向ければよいか分からない。
連行時、茫然としつつも考える。十分に慎重を期したはずなのに? 細々と続けてきた雑誌では、この国の政治状況を直接取り上げてはこなかった。発刊は近所の大学で起きた弾圧事件がきっかけだったとはいえ、誌面で扱ったのは海外の文化運動だけだったのに。
取締の根拠法が国内で狙っていたのは、もともとは主に党員たちだった。拷問されても決して信条を曲げない、勇敢な闘士たち。ともあれ彼らが片付けられると、東京ではターゲットが拡大された。次はここ京都でも、ということなのだろう。
それにしても、元祖の本さえろくに読んでいない私に目をつけるだなんて、いくらなんでも度が過ぎている。取り調べの際に不勉強がバレると、いささか気恥ずかしい気もするが。
留置所では実際、どのくらいの頻度で殴られるものなのだろう。イタイのは正直、御免こうむりたい。メシはどの程度まずいのだろう。これを機に減量できると、肯定的に考えるべきだろうか。
日当たりはやはり悪いのだろうか。10年ほど前、時の権力者に刃向かった元右翼が捕らえられ、いつまでも解放されずに車椅子生活になったと聞く。彼の外国人差別は許しがたいが、寒さや運動不足で私も同じ運命を辿るかもしれないと思うと、気の毒な気もしてくる。
勾留期間というのは、どの程度続くものだろう。下手に抵抗すると、かえって損をするらしい。ならばさっさと「改心」して、実はあいつも私と共謀しておりました、とでも喋ってしまおうか。
それはそれで、沽券にかかわる気もする。他人の視線を振り払ったとしても後年、我が身を振り返って、不甲斐なさを情けなく感じるかもしれない。
後年? 振り返ることのできる日など、本当にやってくるのか。自分が経験しているこの出来事が、後世に伝えられることなどあるのだろうか。
きっと、私は忘れられるだろう。過去から学ぶことができるほど人間が賢明であるなら、全体主義も戦争もとうにこの世から消滅しているはずだ。日々の現実は、この国の行く末をまっすぐに指し示している。
だが、分からない。単純な決めつけによって、私たちがこれまで常に未来の可能性を見誤り、民主主義や和平の道を自ら塞いできたとするなら、悲観しすぎることも慎むべきだ。
いつかもう一度外に出てこられたとして、私は何をすべきだろう。この国では90年近くも前、同様のことが起きていたという。その時のこと、私のような目にあった人のことを、本に編んでみたらどうだろう。
それを手に取った誰かが、もしかすると気づいてくれるかもしれない。過ちがなおも、繰り返されていることに。過ちを繰り返さない未来がありうることに。あなたこそ、その当事者なのだということに。
【書籍紹介】
1938年、京都の片隅で、その大学教員は治安維持法違反で逮捕された。クリスチャンながら共産主義を疑われ、特高の取り調べを受ける日々をコミカルに綴った表題作ほか、昭和史の核心を突くエッセイ群を収録。共謀罪成立の数年後を予兆する名著の新編。[解説=鶴見俊輔/保阪正康]
【著者略歴】
和田洋一
1903〜1993年。同志社大学名誉教授。京都帝大文学部独文科卒。1931年、同志社大学予科教授。中井正一らと雑誌『世界文化』を編集、欧米の反ファシズム文化を紹介した。1949年、同志社大学文学部社会学科教授。著書に『国際反ファシズム文化運動』(三一書房、1948年)、『灰色のユーモア―私の昭和史ノオト』(理論社、1958年)、『新島襄』(日本基督教団出版局、1973年/岩波現代文庫、2015年)、『私の昭和史―『世界文化』のころ』(小学館、1976年)、『わたしの始末書―キリスト教・革命・戦争』(日本基督教団出版局、1984年)など。共著に同志社大学人文科学研究所編『戦時下抵抗の研究Ⅰ―キリスト者・自由主義者の場合』(みすず書房、1968年)など。
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