
落合恵子著『泣きかたをわすれていた』(河出書房新社)には、冬子という60代の主人公が、シングルマザーである彼女の母の介護をする場面と、ほぼ10年後、その冬子がずっと運営してきた「ひろば」という子どもの本の専門店で起きる出来事の、二つの大きな流れがある。
前半は、末期に近い認知症介護のほぼ実録(として、これ自体は非常に示唆に富んでいる)である。じつは母として介護の対象になったこの人には、名前が与えられていない。終始一貫「母」である。ここには作者・落合の、名前の有無などどうでもよく、シングルマザーである「母」が女性として置かれてきた(いる)現状への鋭い問いかけがある。「母がもし頑張ってきたなら、母のような女性が頑張らねばならない社会こそ歪んでいると考えます。頑張らざるを得なかった母を賞賛するのではなく、社会そのものに問題があり、それを変えていきたいとわたしは考えます」。シングルマザー(のみならず、女性一般にも敷衍できる)がどのように扱われてきたかは、評者が言及する必要もないであろう。とはいえ評者には、彼女の名前が必要である。花が好きだとあったから、ここでは「母」を「ハナさん」と呼ぼう。
この前半部分は、後半のお店での出来事より力強いトーンで語られる。かつて評者は社会福祉の専門家を養成する大学で教えていたから、この介護部分も貴重な考察の対象ではあるのだが、紙幅がない。というか長い書評になってしまうことを恐れる。先を急ごう。ただ、一つだけ指摘したい。「高齢者とか認知症者として一括りにはされたくない。当事者各人には個別の要求や希望や挫折があるのだ」と、十分に後期高齢者である評者自身などことあるごとに絶叫(?)しているが、なかなか声が届かない現実、である。冬子は、ハナさんを個性ある一人の女性として、彼女の反応のないなかで、一つひとつ丁寧に尋ねるのだ。「どうしたい?」と。落合が評者の「絶叫」を意識していたとは思えないのだが。ここで介護者の財政的余裕だとか特別な母娘関係などを言挙げして、このケースを特殊化することはほとんど意味がない。
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