ドイツでは現地の語学学校に少し通った。授業の内容自体もさることながら、クラスメイトとの交流や、そこから垣間見えた世界の印象が強烈だった。

私が通ったのは1日3時間×週5日のコースで、日常生活に必要なドイツ語を身につけるものだ。毎日顔を合わせ、授業の中でも自分のことを話すことも多いため、2か所に1か月ずつ通っただけだが、クラスメイトたちの印象は強い。

特に最初に行った学校では、初日から私にはショックだった。

子どもが幼稚園に通い始め、久しぶりに自分一人で身軽に行った語学学校。「1分も無駄にするものか、時短勤務時代に培った集中力!」と勢い込んで入った教室だったが、すんなりとはいかなかった。クラスの大方は前から継続している中に私が飛び込んだ形で、「誰?」との視線を浴びて辛うじて自己紹介する。

先生が来てもしばらくガヤガヤ。そのうちに遅刻者が次々現れて20人強になったが、ロの字の机は明らかに窮屈。見慣れない風貌のクラスメイトたち…黒人が一番多いが、何系と言ったら良いのか分からない人も多い。聞こえてくる私語、これは一体何語なのか?こんなところで勉強するのって効率が悪い気がする。正直、ちょっと怖いし…。

しかし、やがて授業が始まって分かったのは、極めて「普通」、私が知っている授業風景と変わらないということだ。さらさらとこなし答えたがる人、すぐに質問をする人、課題の出来はともかくおちゃらける人、分からずにボソボソとうつむきながら答える人…何も変わらない風景だ。そう思ったら急に楽しくなった。

「効率重視」姿勢をいったん緩め、この人たちと一緒に勉強しようと思った。

だんだん分かって来たのは、私が一体何語だろうと思ったのはアラビア語で、クラスの半数以上が話し、その多くはエリトリアやシリアの出身だということ(エリトリア?どこ?と検索してみると、「アフリカの角」と呼ばれる地域にある、多くの難民を出している国だった)。

その他はバラバラだが、要するに「移民・難民」にあたる人がほとんどだ。多くクラスメイトは在留資格のためのドイツ語の試験に合格することを目的にしていた。 授業では各人の背景を伺わせるシーンもいくつかあった。

例えば「どうやってドイツに来たか」の問いに、飛行機や電車ではなく「船と徒歩で」。先生も驚き、どうやら冗談ではなさそうだと見て「それは…ずいぶんかかったでしょうね」と答えていた。

また、日付の練習で「私は◯月◯日生まれです」と順に言っていた時。「1月1日生まれです」「1月1日です」「1月1日」…手抜きをしたくてやっているのかな?と私は一瞬思った。何回めかの「1月1日」に誰かがぷっと吹き出すと、アフガニスタン出身のその人は怒った。

「何がおかしい、なぜ笑うのか!私が生まれた時、母は日付なんか分からなかった!だからドイツに来た時に1月1日ということにしたんだ!他の人だってそうでしょう?」

1月1日生まれの何人かはうなずき、笑った人は気まずくうつむいた。

ただ、「紛争地域からやって来た、貧しくて気の毒な人」ではない。お互いに拙い言葉でやり取りをし、休憩時間には誘い合ってコーヒーを買いに行き、なんとなくのおしゃべりをした。ごく普通…私にはそれ以外に言いようがない。

シリアにミサイルというニュースを聞いて私が驚いた翌日にも、若いシリア人たちはせっせとスマホゲームをしていた。もちろん、心中は分からないが…。映画好きのエリトリア人は、いろんな映画のタイトルを挙げながら、私の顔を見て「ああ日本、リングいいよね!」と言ってきた。

違う場所で生まれ育ち、言葉も習慣も見た目も大きく違うけれども、それでも私自身や私が知っている人たちとそう違わない…同じ人間なんだな。

書いてしまうと恥ずかしい気がするような言葉だが、そう思った。

だからと言って、誰にでも共感できたり、寛容になったり、劇的な、大きな変化があったわけではない。けれども、少しだが見える世界は広くなり、気になることが増えた。

難民としてドイツにやってきた人たちの生活は、やはり厳しいとのニュースも聞く。友人として見えるようになった人たちの顔と、ニュースと、さりとて急に何ができるわけでもない自分と。いずれも抱えていくしかない。

■ 小澤さち子 ■