わたしの友人に、脳梗塞の後遺症で要介護2と認定されたMという女性がいます。長女の家に同居して、在宅で、いろいろなサービスをうけながら暮らしています。孫が3人―男の孫が1人、女の孫が2人―います。毎日ヘルパーさんが入れ替わり来て世話をしてくれるのですが、時には大学生の孫が通院の手伝いをしてくれることもあります。本人はしゃべることと食べることは障害がないと自負しています。

 長女からはいつも「お母さん、もっと努力して歩くようにしないとダメ。怠けていると寝たきりになってしまうから」と、叱咤激励されています。Mはわかってはいるけど、歩けない、歩きたくないことが多く、散歩支援のヘルパーさんが来て外出しても、すぐ車いすに乗ってしまう、「今日はもういいから」と言って、すぐにお茶しにカフェに入ってしまう、のだそうです。それがばれると長女に叱られるのですが。

 一方で、孫の話になるとMは饒舌になります。特に男の孫Kくんの話になると手放しです。「男の子って優しいよねー」と感に堪えないような話しぶりです。「うまくその気にさせようとするのね、はっきりこうしなさいって言わない、『おばあちゃん、もう少し外へ出たほうがいいと思うんだけどなー』とかって、のせてしまう。男の子って優しいよ。こういう子は一般企業の企業戦士になるより、介護士とか保育士とかに向いてると思うな。それに引き換え、女の孫は母親に似てきついの。『おばあちゃん、もっと歩かなくちゃだめだよ』とストレートに言ってくる」のだそうです。

 これはある家族の1例にすぎません。性格や物言いの優しさとかきつさなど、家族の数があればその数だけの組み合わせがあるわけで、これでどうだとかいう気はさらさらありません。Mの孫のKくんは優しくて、女の子はちょっときつい孫だったというに過ぎません。
 
 政治家の虚言・暴言・失言がはびこっているご時世です。もう十分なのですが、またまた見過ごしにできない発言が出てきました。5月27日には子育ては「ママがいいに決まってる」と自民党幹事長代理の萩生田光一氏が言ったそうです。ああ、またか、とうんざりですが、Mの家族を見ていてもこれは大間違いだと思うので、黙っていられなくなりました。

 「ママがいいに決まってる」って、だれが決めたんでしょうか。日本では子育てするのは女性が男性より多いことは事実ですが、だから「ママがいいに決まってる」なんてことはありません。社会的に制度的に多くのママが子育てすることになっているだけの話です。子育ての下手な女性もいれば、上手な男性もいる。子供と一緒にいることが好きな男性もいれば、うるさいと思う女性もいる。それもいつも決まっているわけではなく、時によって、父親も母親も、子育てが楽しかったり負担だったりするのです。子どもから見ても、ママが好きな子もいれば、パパの方が好きな子もいます。

 人間だから機嫌のいい時もあれば悪い時もある、前向きなときも落ち込むときもあります。そうしたいろいろな事情や、さまざまな個性をもった人間が営む子育てに「決まってる」ことなどひとつもありません。まして「ママがいいに決まってる」はずはありません。

 子どもが好きで保育士になった男性や、事情があって子育てを一手に引き受けている男性にとっても、「ママがいいに決まってる」は大失言です。萩生田氏はこの発言を撤回して謝罪すべきです。

 さらに悪いことに、萩生田氏は「言葉の上で『男女共同参画社会だ』『男も育児だ』と格好いいことを言っても子供には迷惑な話だ」とも言ったそうです。(毎日新聞5月29日)

 ひどい話です。「男女共同参画社会」は、日本社会の基本として自民党も加わって決めた政策のはずです。それなのに、「格好いい言葉」にすぎなくて、「子供に迷惑な話」だと明言したのです。こういう幹事長代行をもつ政党では、「男女共同参画社会」は「格好いい言葉」の空念仏にすぎないでしょう。おそらく自民党の皆さんの多くもそう考えているのでしょう。

 残念ながら、こういう政党が政権を握っている限り、男女平等などは夢のまた夢です。「男女共同参画社会」も「女性の輝く社会」も絵に描いた餅にすぎません。安倍首相や自民党のえらいさんが、男女共同参画社会の実現とか男女差別は憲法違反だとか言ったとしても、それは本心ではなくて、「格好いい言葉」のひとつとして舌に載せているにすぎないことを肝に銘じておきたいと思います。

 当分は男女平等は実現しないと思うと絶望的な気持ちになりますが、Mの孫のような優しい男性がいることがわずかな慰めです。こういう男性がいたら、ゆめにも「男らしくない」などと言ってはいけません。「いいね!」と共感しましょう。こういう優しい男性を育て増やすことで、日本社会も変えられるかもしれませんから。