
暴言・失言続きの自民党議員ですが、今回は幹事長の二階氏、あきれてものが言えません。
6月27日の朝日新聞によると、二階氏は都内での講演で、
「子どもを産まないほうが幸せじゃないかと勝手なことを考えて(いるひとがいる)」「皆が幸せになるためには子どもをたくさん産んで、国も栄えていく」
と言ったのだそうです。
子どもを産まないのが幸せか、産むのが幸せかは、ここでは問題にしません。人の幸せなんて、そう簡単に口にできることではないからです。ここであきれているのは、「皆がこどもをたくさん産んで、国も栄えていく」との言い分です。
さすがに朝日も許せないと思って、6月29日に社説で取り上げました。「二階氏の発言「産めよ」の発想の罪」と題して、二階発言を批判しました。わたしもこの発言は絶対に許せないと思いますので、少し違う視点から書いてみます。
たくさん子どもを産めば国が栄えるって、どこかで聞いたような言い分です。そうです。戦争中は「産めよ、増やせよ」とあおりたてられて、女たちは4、5人どころか7、8人も産まされました。そして、戦争に取られ帰ってこない子どもを待ちわびる岸壁の母になりました。
『家の光』という、農村を中心に読まれて、戦前は購読者数100万を超えた総合雑誌があります。この雑誌で戦時中のことばを調べたことがあります。その時読んだ記事を思い出して、そのコピーを改めて取り出してみました。1940年8月号のグラビアです。両親を真ん中にして、成人のように大きい娘さんから母親の膝に抱かれた赤ちゃんまで、16人の子どもの写真が載っていて、キャプションにこう書かれています。
長崎県の総務部長白戸半次郎氏(四十六歳)は、十九歳の敏子さんを先頭に、十六人の子(こ)福者(ぶくしゃ)で、日本一の折紙がつけられてゐるが、そろひもそろつて体格がよく、学校の成績もまたすばらしいといふ国策型の御家庭である。
子どもが16人勢揃いの写真は実に壮観です。確かに日本一でしょう。でももっと驚くのは、19歳が先頭で16人の子どもを産むという間隔の短さです。ほとんど毎年か2年に1度の割合で産んでいることになります。授乳が終わらないうちにまた次の子を産んで授乳し、それを16人分繰り返してきたのでしょう。そのことが「国策型」として賞賛されているのです。しかも、写真では母親もにこやかに笑っていますが、この記事には16人産んだ母親のことは一言も触れられていません。父親は肩書から姓名・年齢までしっかりと記されているのにです。
当時の女性たちが、いかに子を産む道具にさせられていたかを象徴している記事だと思います。こんなにたくさん産まされて、最後の子を産み終えたころには、もう精も根も尽き果てて,自分の人生を楽しむことなどできなくなっていたのではないでしょうか。こういう国策に踊らされたのが悪いと言えばそれまでですが、社会全体が戦争一色に染まり、「産めよ、増やせよ」と浮きたっているとき、冷静に自分は2人だけでいい、後は自分の生活を楽しみたいなどと言える人は、よほど強い人に限られていたでしょう。
二階氏の、子どもをたくさん産めば国が栄える論は、すでに日本が75年前に経験して失敗した歴史を無視しています。子どもを毎年のように産まされて国策に協力し褒められたけれど、その結果 国は栄えなかった。政治家はその歴史に学ぶべきです。75年前と同じことを言ってはいけないのです。
そういうことをぬけぬけという背景には、やはり女性蔑視があります。女性は子どもを産む道具で、自分ら男性と同じ価値ある人間とは思っていないのです。女性が子どもを産むことがどんなに大変なことかちょっとでも想像したら、道具のように「たくさん産め」などと言うことばは、絶対に出てこないはずです。人として当然もつべき想像力も、女性を同じ人間として見る力も欠けている幹事長が日本社会を牛耳っている限り、日本はジェンダーギャップ指数114位から脱出できません。まして、女性は輝くことはできないのです。
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