・石牟礼道子歌集『海と空のあいだに』
・一九六九年六月十日発行
・葦書房
石牟礼道子さんが亡くなった。この二月十日。「存在無比の人よね」。伝えてくれた新聞記者と共に、そう言ったまま、言葉がなかった。九十歳になったばかりの死。年齢的には納得できたが、亡くなってほしくなかった。とにかく、生きていて欲しい人だった。
石牟礼さんというと、まず、水俣病の根源を告発した『苦海浄土』が思い出される。本書は、一九六九年刊。私も読んだ。まずはドキュメントとして読み、実はそれが小説だったと知って驚かされ、又、改めて読んだ。
『苦海浄土』では、たまたま入院した病院で、壁に爪を立てて苦しむ人々を目にし、それが水俣病と知り、見たこと全てを小説として書き綴ったという。
私が、石牟礼さんに、ことに親近感を抱くのは、彼女の文学の出発が、短歌だったからである。
わが洞(うろ)のくらき虚空をかそかなるひかりとなりて舞ふ雪の花
死にて後愛さるるなどさびしすぎ拾い上ぐ雪の中の朱い草履を
自殺した同年輩の歌仲間を作品化したものである。水俣に住み、すでに結婚していた彼女は、毎月、熊本で開かれる歌会に参加していた。水俣から熊本迄は、その頃でいうと、北海道に行く程、遠く厳しいものだった。そこで知り合った歌友の死。自殺への彼女なりの問いかけと、その結果の酷さが、白い雪の中に転がる朱い草履に象徴的に示されている。
『海と空のあいだに』には、やや長い「あとがき」があり、「あらあら覚え」と名付けられている。短歌の師、蒲池正紀氏から「あなたの歌には、猛獣のようなものがひそんでいるから、これをうまくとりおさえて檻に入れるがよい」と言われたと記されている。
彼女の短歌は、表面的には静かだが、その中で、激しくのたうっている何かを蒲池氏は見抜いていたのだろう。
いちまいのまなこあるゆゑうつしをりひとの死にゆくまでの惨苦を
『苦海浄土』の誕生が、すでに予期されている作品である。短歌は対象を見据え、それを自らに引きつけ、自分の体温を吹きつけて言葉を放つ。石牟礼さんは、その方法をごく自然に自分のものとし、獣を檻に収めて『苦海浄土』を書き上げたのだろう。『苦海浄土』の胎児ともいえる、この歌集を読んでほしい。
◆評者紹介
みちうら・もとこ
一九四七年生まれ。
歌人。歌集に『花やすらい』『はやぶさ』『花高野』など。