ブルンヒルデ・ポムゼル+トーレ・D. ハンゼン
監修 石田勇治 翻訳 森内薫+赤坂桃子
紀伊國屋書店 2018年
ナチ・ドイツの国民啓蒙宣伝相でヒトラーの右腕ゲッベルスの秘書だったブルンヒルデ・ポムゼル。終戦69年目の2013年に、最後の生き証人として103歳の彼女が当時を回想した。余生幾ばくもない彼女は、反省や責任を口にしようとしたのか。それとも、彼女の立場上、知り得た事柄を明らかにしようとしたのか。残念ながら、両方とも違う。彼女が伝えたかったのは、私は何も知らなかった、私には罪はない、ということだ。
ポムゼルは、終戦期にソ連軍に逮捕され、5年間拘留された。世間から、批判も浴びたのだろう。そのためか、彼女の回想は弁明に終始し、ホロコーストについて知ったのも、釈放後だったという。
彼女の回想は、人格形成に重要な子ども時代からはじまる。中流家庭で、プロイセン流の厳格なしつけを受けて育ったポムゼルは、オフィスでの仕事に憧れ、10代半ばで秘書としてのキャリアをスタートする。見習いの後、ユダヤ人経営の事務所で働いていたとき、当時のボーイフレンドを通じて著述家でラジオアナウンサー、そしてナチの古参闘士だったヴルフ・ブライと知り合ったことで、彼女の運命は大きく変った。ポムゼルは、ナチの政権獲得後まもなく、彼の秘書として国営放送局に入ったのだ。
彼女は政治に無関心で、ナチ支持者ではなかったが、局で働くには党員の方がよい、というブライの勧めで入党する。彼女が関心をもっていたのは、より良い職と些細な贅沢、エリートたちとの面識、仕事への評価だった。学校時代から成績優秀だった彼女は忠実に働き、周囲にも仕事ぶりを認められて、42年に宣伝省に移動する。
職務柄、知り得たはずのナチ犯罪や体制への協力について、彼女は回想でほとんど触れていない。ゲッベルスの話も、彼の個人生活が中心で、身だしなみがよくて気品のあるスピーチの名手という表面的なもの。詳しいことは分からなかった、と主張する内容だ。自分のことには執着するが、政治のことはあえて知ろうとはせず、ナチに「ノー」と言うことなど、命がけでなければ絶対に不可能と断言する。悪いのはあくまでナチで、自分は無関係なのだ。
しかし、こういう自己中心主義、ご都合主義的な解釈と罪の他人へのなすりつけ、そして政治や社会への無知・無関心は、彼女に限られたことではない。ポムゼンの生き様は、ナチに成り行き任せで順応し、体制を支えた多くの国民の人生と重なっている。だからこそ、ポピュリズムが台頭している今を生きる私たちに、無関心や傍観、無力感がどのような結果を招くのかを教えてくれる。ポムゼルの回想は、今の時代への警鐘である。
*本作は、映画化され、日本では2018年6月の岩波ホールを皮切りに、全国で上映されている。
◆姫岡とし子(ひめおか/・としこ)
1950年生。東京大学名誉教授
主著 『ジェンダー化する社会ーー労働とアイデンティティの日独比較史』(2004年/岩波書店)、『ヨーロッパの家族史』(2008年/山川出版社)など。