日本と同じくはっきりした四季があるチリ。9月はチリにとって春が始まる月です。天気がいい日は汗ばむ陽気に、しかし曇ると急に気温が下がり、ダウンジャケットが必要なほどの寒暖の差があります。不思議なもので 「三寒四温」という表現がぴったりです。
「ディエシオチョ」(スペイン語で18の意)と呼ばれる、独立記念日(9/18)を中心にした連休が明け、街は普段通りの生活に戻っています。

 さて、今回から数回にわたって、国立チリ大学ジェンダー研究センター(http://www.cieg.cl/)の設立者であるソニア・モンテシーノ教授へのインタビューを掲載したいと思います。
 チリのフェミニズムの歴史、独裁政権下の女性たちの活動、そしてジェンダー研究学際センターの設立について、そしてフェミニスト学者としての生き方など、約1時間にわたって語っていただきました。
 今回はまず、チリ大学と、チリ初のジェンダー問題に特化した研究センター・ジェンダー研究センターを紹介したあと、チリのフェミニズムの歴史についてのインタビューを掲載します。

●国立チリ大学

 国立チリ大学(Universidad de Chile)は、チリで最も古く、かつ最も権威のある大学です。植民地時代の王立サン・フェリペ大学(1738年設立)を前身として、1880年のチリ独立直後の1984年に設立されました。
 歴代大統領のうち、6割以上がチリ大学出身で、世界初の自由選挙による社会主義政権を担ったサルバドール・アジェンデや、チリ初の女性大統領となったミチェル・バチェレ前大統領は、ともにチリ大学医学部を卒業しています。2人のノーベル賞受賞者も同大の関係者です。1971年にノーベル文学賞を受賞したパブロ・ネルーダは卒業生、1945年にラテンアメリカで初めてノーベル文学賞を受賞した女性詩人ガブリエラ・ミストラルは同大から教授の称号を受けています。
 首都サンティアゴ市内に5つのキャンパス、14の学部(建築・都市計画学、芸術学、農学、物理数学、森林科学、薬学・化学、社会科学、獣医学・動物科学、法学、経済経営学、人文哲学、医歯学)で構成され、現在3,723 人の教員、32,422学部生、9,125人 の大学院生が在籍。国内に多くの研究機関を擁しています。

●チリ大学ジェンダー学際研究センター(CIEG)

 写真①

 ジェンダー学際研究センター(Centro Interdisciplinario de Estudios de Género; CIEG)があるのは、前回のエッセイでも登場したサンティアゴ市ニュニョア地区の人文社会学系キャンパス。出身大統領の派閥からも分かるように、大学内は左派の力が強いと感じます。
 キャンパスの壁には、植民者スペイン人に対する先住民の闘い、独裁政権下で拉致・行方不明になった学生たち、クーデターで自死したアジェンデ元大統領などをモチーフにしたグラフィティと、性差別の抗議と女性の尊厳を訴える横断幕。キャンパスを埋め尽くすそれらの色彩が、独特の雰囲気をかもしだしています。
【写真①】キャンパスの中庭で、アルゼンチンの中絶解禁運動へ連帯するため、運動を象徴する緑のスカーフにペインティングする学生たち。

【写真②③】人文哲学棟のグラフィティ。

 写真②

 写真③


【写真④~⑦】CIEGのある社会科学棟の様子。

 写真④

 写真⑤

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 写真⑦

 1973年9月11日の軍事クーデターに始まる、ピノチェト軍事独裁政権。民政移管したのは1990年。その翌年の1991年、フォード財団による支援を受けてCIEGは設立されました。社会科学部に属し、2007年からは人類学科の一部になりました。
 CIEGはチリ初の大学ベースのジェンダー研究機関です。
【写真⑧】 CIEGの公式サイト
【写真⑨】 CIEGの入り口

 写真⑧

 写真⑨

 CIEGは社会科学棟の地下一階にあります。広くはないですが、研究をサポートする秘書が1名常駐し、ミーティングスペース、学生や研究員が使用できるパソコンスペース、ジェンダー関係の図書室があります。
 CIEGの運営は、各学部に所属する女性教員5名によって担われています。CIEGは2003年からジェンダー研究の分野でユネスコチェア(UNESCO Chairs)のメンバーになっています。

 このCIEGを設立したのが、チリ大学で教鞭を執る社会人類学者のソニア・モンテシーノ教授です。
 【写真⑩】ソニア・クリスティーナ・モンテシーノ・アギーレ(Sonia Cristina Montecino Aguirre)教授
 1954年生まれ。1980年チリ大学にて人類学学位、2006年オランダ・ライデン大学にて人類学博士号を取得。
 専門は社会人類学。チリにおけるジェンダー研究のパイオニアであり、ジェンダーとエスニシティに関する研究を行う。
 同時に作家としても活躍し、人類学と文学を架橋する。
 代表作にMadres y Huachos, Alegorías del Mestizaje Chileno(1991)、La Olla Deleitosa: Cocinas Mestizas de Chile(2005)。チリ人文社会科学国家賞(2013)など受賞歴多数。

 【写真⑩】


●ソニア・モンテシーノ教授に聞く―チリ・フェミニズムの歴史―

*20世紀初頭の2つの潮流―上流階級と労働者階級から
 まず、チリのフェミニズムの歴史ついてお話しします。初期のチリのフェミニズムには 2つの源泉があります。ひとつは、上流階級の女性たちによるもの。彼女たちはいくつもの読書サークルを作って、北アメリカのフェミニズム関連の本を読みました。

 写真⑪

 もうひとつはより民衆的・大衆的なもので、チリ北部の硝石鉱山で働く女性たちによるものです。
 鉱山で働く女性たちの動きは、労働運動・闘争と強く結びついています。彼女たちに影響を与えたのが、自由思想家のスペイン人女性ベレン・デ・サラガ(Belén de Sárraga 1874-1951)です。
 サラガは、反権威主義でアナーキーなフェミニストで、ラテンアメリカ諸国を周遊し、チリでは北部の鉱山地帯で活動しました。彼女を中心とした女性たちの集まりは、「ベレン・デ・サラガ・センター」と呼ばれ、炭鉱労働者の女性たちに彼女の思想が広まっていきました。

【写真⑪】スペイン人女性の自由思想家ベレン・デ・サラガ

 つまり、上流階級の女性は北アメリカのフェミニズムに、一方で労働者階級の女性たちは、スペイン人のサラガから強い影響を受けていた、といえるでしょう。それが20世紀初頭のことです。

*中産階級フェミニズムの誕生と女性参政権獲得運動
 上記の流れは1930年代から50年代まで続きます。しかし、フェミニストの主要な目標が、女性の市民権の獲得、特に女性参政権の獲得に移っていきます。そしてこのプロセスの中で、中流階級においてもフェミニズムが生まれます。そして、女性たちが議論を重ねながら、女性による雑誌が数多く刊行されました。彼女たちは国外のフェミニストによる女性参政権についての書物をスペイン語に翻訳する仕事も行いました。この時代にも、先ほど述べたようなアメリカのフェミニズムの強い影響力は継続していました。

 写真⑫

*軍事政権と民主化運動のなかの女性たち  1950年、チリにおいてようやく女性参政権が認められると、フェミニズムの盛り上がりは一段落し、「フェミニストの沈黙(un silencio feminista)」と呼ばれる時期が訪れます。しかしその後、軍部のクーデターに始まる軍事独裁政権(1973-1989)の時代、民主化をもとめる女性たちの動きとして、フェミニズムは再び姿を現します。

【写真⑫】 1983年、チリ国立図書館の前で「民主主義を今すぐ チリ フェミニスト運動」と書かれた横断幕を掲げる女性たち(出典 チリ国立図書館Webサイト)

 現在は、さまざまな形態の、いくつものフェミニズムが存在しますが、チリのフェミニズムは民主主義の獲得というテーマと結びついています。
 私が興味深いと思うのが、一般の女性たち、農民の女性たち、先住民の女性たちが、フェミニズム的な女性運動の一部を形作りつつあることです。彼女たちの主張はフェミニズムとして行われているわけではないのですが、このチリという国(公的領域)と、家庭などの私的領域における平等、という概念を要求する、女性たちの主張です。これが80年代までの状況です。

*民主化後の「国家フェミニズム」と若い世代の動き
 チリの民政移管が実現された1990年から今日の2018年にかけて、新しい状況が再び生じています。民主主義国家となったチリ政府は、フェミニズムの考え方をかなり取り入れています。これを「国家フェミニズム(un feminismo de estado)」と呼んでみたいと思います。代表的な例を挙げると、ジェンダー平等に取り組む国家女性局(el Servicio Nacional de la Mujer; SERNAM)も1991年に設立されました。
 同時に、別の種類のフェミニズムも登場します。たとえば、レズビアンのグループ、女性が自律する力を求めたり、無政府主義フェミニズムを標榜するような、さまざまな小規模なグループです。
 また、フェミニズムのアカデミアへの進出という現象も起こっています。民政移管後、それまでフェミニズムの世界で活動していたリーダーたちが、大学の世界でも働きはじめました。大学のなかでジェンダー問題を学び、教えるというプロセスも、ひとつのフェミニズムの形として存在しはじめました。
 2018年、あなたも見たように、まさに大学の中心部で、女性たちの性差別への怒りが爆発しました(参考: 第5回(上) https://wan.or.jp/article/show/7980 (下)https://wan.or.jp/article/show/7981)。
 私は、これらの若い世代のフェミニズムは、これまでの歴史のなかに登場した多くの、本当に数多くのフェミニズムの潮流にあるものだと捉えています。しかし、若い世代のフェミニズムの核心にあるのは、より伝統的なフェミニズムが提起してきた課題とあわせて、女性が自律する力、私たちが呼ぶところの「身体の自治権(autonomías del cuerpo)」だと思います。(続く)

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 私が一番興味を引かれたのが、チリのフェミニズムの源流に鉱山の女性たちがいること。九州の炭鉱地帯で活動した森崎和江、河野信子らの「サークル村」を想起しました。
 そして「身体の自治権」というフレーズは、「私の身体は私の物」という日本のリブと通底するとも感じました。
 次回はフェミニズムと学術界との関係についてのお話を紹介します。


◆やなぎわら・めぐみ チリ在住のジェンダー研究者。
著書に『<化外>のフェミニズム』(ドメス出版)がある。自著紹介、加納美紀代さんによる書評などはこちらから。

*これまでの「南米チリ見聞記」はこちらから。
*WANマーケットに「南米チリのご当地お土産ガイド」も連載中。