
果たしてほんとうに教育勅語を読んでいるのだろうか。教育勅語が論じられるたびに、その疑問を持って、報道や論文をみてきた。
いまでも日本史研究者の学術論文に、「教育勅語が渙発(かんぱつ)されて…」と書いてある文章に出会うと苦笑してしまう。天下に行き渡ることを意味する「渙発」という言葉は、昭和期の教育勅語「渙発」記念事業で用いられた美称であって、すくなくとも客観的に論じようとする文章で使うべき言葉ではない。
教育勅語の眼目は、当時の古い常識としての儒教道徳と明治維新で導入された西洋近代道徳を並べて、「天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という言葉に集約することにあった。起草段階でも、戦時下でも、この点についてはブレがない。
本書は、第1部「精読」で【朕】【惟フニ】と語句ごとに文法事項や語句の出典、主要な解釈を示した。正確に読むということが研究者や評論家でも出来ていない現状で、あえて高校生の国語の知識でも読み取ることができる内容を目指した。
教育勅語は、古い道徳を好む人も、西洋市民社会の常識をもつ人も、その世界へと埋没することを可能とした。たとえば【兄弟ニ友ニ】という言葉がある。出典として五倫五常で慣れ親しんだ儒教の言葉を踏まえたいという意図があって使われた。それゆえに国定教科書は通常の読みの「キョウダイ」でなく、古典音読の「ケイテイ」と読ませた。儒教は士大夫ら男の道徳だが、同時に前漢の劉向『列女伝』をはじめとして、そのなかに女の道徳も含めていったのである。
「ケイテイ」は女も含む。1872(明治5)年の学制から、学校教育は男女ともに開かれることが原則になったのだから、そんなことは明治期の人なら言わなくても分かる話だった。言われないと分からない昭和期には、1940(昭和15)年に文部省の「聖訓ノ述義ニ関スル協議会」が、わざわざ「兄弟ニ友ニ」を「兄弟姉妹仲よくし」と「姉妹」も含めた現代語訳を示した。現在でも兄弟を「きょうだい」とひらがなで書いて男女とも示すという用法があるが、それと同じだろう。教育勅語の世界は女性を放置するほど自由気ままではなく、男女ともに「皇運ヲ扶翼スヘシ」と包括することに重点があった。そこへ【夫婦相和シ】という、現代人には押しつけがましい語句が続くわけである。
本書『くわしすぎる教育勅語』は、タイトル通り「くわしすぎる」ものとなった。第2部の「始末」で歴史的な経緯を概論し、第3部の「考究」で説明付きの資料を掲載している。もちろん一般書なので、範囲は古典の出典や代表的な解釈などに限定した。
本書が、教育勅語をきちんと読んでから論じようとする人々の参考になれば幸いである。
(2019.3.7高橋陽一・武蔵野美術大学)
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