沖縄の米軍基地を「本土」で引き取る!: 市民からの提案

コモンズ( 2019-04-10 )


本書は、全国で基地引き取り運動に携わる市民たちが協力して作り上げた一冊である。フェミニストでもあり、編者の一人でもある筆者が、僭越ながらこの場を借りて本の紹介をしてみたい。

基地引き取り運動とは、全国の米軍専用施設の7割が沖縄に集中している現状について、「本土」側の市民こそが、歴史的・政治的に沖縄に基地を押しつけている当事者なのではないかという考えのもと、この不平等を解消するために「沖縄の米軍基地を『本土』で引き取る」ことを目指す運動である。

2015年3月の大阪以降、福岡、長崎、新潟、東京、山形、兵庫、滋賀、埼玉、北海道と10団体が発足しており、本書では、活動に至った経緯や思いなど、各地のメンバーたちがさまざまな声を寄せている。

「基地引き取りは基地の容認につながる」「基地はどこにもいらない」など、各地のグループには左右両ウィングから批判が寄せられており、本書にはこうした声に反論するコーナーもある。そのなかで筆者は「基地引き取りは性暴力まで引き取るのか」という批判を担当している。

そこから浮かび上がるのは、歴史的に奪われたマイノリティの権利要求と、それを奪う側の主流派社会におけるマイノリティの権利侵害というディレンマを、どのように克服するのかという難問である。
すなわち、沖縄人による「これ以上足を踏んでくれるな。それほど基地が必要なら持って帰ってほしい、引き取ってほしい」という「県外移設」の要求を主流派社会が受け入れた場合、「軍隊=性暴力を誘発する機関」という前提が覆せない以上、「本土」の社会において弱者である女性たちに性暴力が起こりうる事態が避けられないという問題だ。
そこで「性暴力も基地も要らない」と突っぱねることも可能であるが、足を踏んでいるのが、他でもない私たち主流派社会のすべての成員だとしたら、どうだろうか。

このディレンマについて、本書で筆者はひとつの方向性を示唆しているが、あなたならどう答えるだろう。誰かの足を踏んだまま「地球上から軍隊が消えてなくなるまで待ってくれ」と要求することができるだろうか。それとも「女は足を踏んでいない」と主張することができるだろうか。

沖縄の基地負担集中というリアルは、主流派社会のマイノリティとして声を上げ、道を切り拓いてきた「本土」のフェミニストたちにもポストコロニアルな問いを突きつけてくる。どうしたら過去を反省し立場を踏まえながら、沖縄の女性たちの闘いに学び連帯を実現させることができるのか、考えていくきっかけになればと思う。