わたしはなにも悪くない

著者:小林エリコ

晶文社( 2019-05-08 )


酒を飲んでは荒れる父親の顔色をうかがう機能不全の家族環境で育ち、学校ではいじめにあい孤立、進みたかった美術への道も家族の理解を得られず断念。短大卒業後勤めた編集プロダクションでは、ブラックな作業環境とあまりの低賃金に絶望し、うつを発症し自殺をはかる。

未遂に終わるも精神疾患者として精神病院の閉鎖病棟へ入院。回復して退院、生活保護を受けながらの生活では、多量服薬の副作用に苦しみ、アルコール依存の疑いにもおびえ再び自殺未遂をし……と世に言われる「生きづらさ」をほぼすべて体験してきたと言っても過言ではないくらい、過酷な人生を生きてこられた小林エリコさん。

本書は、その「苦難のフルコース」を歩んできた小林さんの体験的エッセイ集です。

精神病院の閉鎖病棟で受けた非人間的なあつかい、行政の生活保護担当者から感じる受給者に対する侮蔑的な視線、精神疾患を抱える子どもを持つ親の思いがかえって子どもを追い込んでしまう逆説、さらには「べてるの家」から生まれた当事者研究に救われた体験や、アルコール依存者たちの自助グループ「ダルク女性ハウス」のセミナーに参加して得た気づきなどのエピソードが、抑制の効いた文体で綴られます。

本書の帯文には、信田さよ子先生からは〈深い思索に裏打ちされた体験記は、どんな専門書より参考になる〉、ルポライターの鈴木大介さんからは〈「死にたい」の一言に隠された膨大な気持ちの奔流を、こんなにも代弁してくれた一冊はない〉という推薦文をいただいているのですが、まさにそのとおりで、「死にたい」「つらい」「苦しい」といった当事者たちの言葉のその裏にどれだけの思いが込められているものか、そしてその苦難の中でつかんだ経験知がどれほど同じ境遇にいる人々を勇気付けるものか、この小林さんのエッセイを読んでいただければ実感できることと思います。

この本のタイトル、「わたしはなにも悪くない」に、小林さんが込めたひとつのメッセージがあります。
こうした生きづらさを抱えるひとたちは、つい自分のことを責めがちだと言います。とくに自己責任が言われる昨今、自分にも問題があったのかもしれない、ふつうの人がふつうにできていることができないのは、自分がダメなのではないか……そんな思考に傾いてもおかしくはない。小林さん自身もそうで、ほおっておくと自分を責める無限ループに陥ってしまうとのこと。
でもそれは断じてそうではないのです。生きづらさを抱える人たちが背負っているその困難は、当事者の責任ではありません。彼ら・彼女らが不利な状況に追いやられてしまう社会の制度に問題があるのです。

小林さんは言います。
「生まれた時にみんなが同じスタートラインに立っているわけではない。そして、みんなが同じように同じスピードで走れるだけの力を持ってはいない」
そんな社会において、同じように生きづらさを抱えて自分を責めてしまいがちな人に「あなたはなにも悪くないよ」と声をかけたいし、「わたしはなにも悪くない」と言えるようになりたい。そんなメッセージがこのタイトルには込められています。

さまざまな困難を抱える当事者、家族、友人・知人、支援者、制度設計者、行政担当者にぜひ読んでいただきたい本です。問題解決への気づき、ヒントがたくさん見つかるはずですし、なによりもその語り口のあたたかさに、胸を揺さぶられることと思います。そして本書を読んで少しでも心が動くことがありましたら、あなたのまわりにいる困難を抱える人たちにおすすめしていただけるとさいわいです。