はじめまして。渡辺知子です。
日本の開発援助のコンサルタント会社に所属し、主に中南米やアフリカの国々でコミュニティ開発の仕事をしています。
中学生のときに青年海外協力隊のポスターを見て以来、開発援助の世界に憧れを持ち、その後メキシコで民族学・人類学を学んだりしながら少しまわり道した後、日本の開発援助のコンサルタント会社に入り、今に至ります。スペイン語を勉強していたことから、メキシコ、グアテマラ、ドミニカ共和国、エクアドル、パラグアイ等主に中南米で仕事をしてきましたが、ここ数年はアフリカのガーナでも仕事をしています。
これまでに訪れた国々で出会った農村の人々、その農村でもさらに周縁に追いやられている主に女性達の声を伝えられたらと思っています。
タイトルの「世界の周縁から、小声で叫ぶ!」には、「弱者が弱者であるまま尊重されること」、普段は「声」を発することのない人々が、たとえ小声でもいいから叫べるようになり、そしてその声を「わたしたちは聴いているよ!」と伝えたい、そんな意味を込めています。
どうぞよろしくお願いします。
―グアテマラの農村から、小声で叫ぶ!―
生活改善アプローチ
日本の戦後の農村開発の取り組みの一つに「生活改善アプローチ」がある。生活改善アプローチは、「農家生活の向上」と「考える農民の育成」という二つの目標を掲げ、生活改良普及員による農村の女性グループ活動への技術面と意識面での支援を通じ、農村女性の自立を促したものである。
女性たちは、外部からの支援を待つのではなく、自身の身の回りにあるものを活用し、自分たちでできる活動をグループの仲間と話し合いながら考え、見出し、協力しながら解決していく。生活改良普及員は、女性たちが自身でニーズに気づき、活動を実施していく過程を手助けするファシリテーターであり、生活を改善していく主体はあくまでも農村の女性達という点が特徴である。
この「考える農民を育成」する生活改善アプローチは、中南米やアフリカなどの国々の農村開発においても有効な手段であるとされ、活用されてきた。グアテマラでも独立行政法人国際協力機構(JICA)によってこのアプローチが導入された。その過程でみられた一つのケースを紹介する。
グアテマラの概観
グアテマラは中米の国で、人口は約1691万人、面積は109平方キロメートルで北海道と四国を合わせたくらいの広さである。先住民人口が多いのが特徴で、人口の約4~5割は先住民とされている。また1960年から1996年までの36年間、内戦があり20万人近くの人々が犠牲になった。
中所得国とされながらも、国内での貧富の差が激しく、特に貧困状態にあるのが先住民である。そのなかでもさらに、男性優位主義がはびこっているため先住民の女性は虐げられた立場にいる。また長年続いた内戦によって隣人との信頼関係も薄れてしまっている。
そして中南米諸国の中でも妊産婦死亡率や乳幼児死亡率が高く、5歳未満児の約半数が慢性栄養不良の状態にある。これは中南米地域ではワースト1位、世界でもワースト6位という数値である。(UNICEF、2014年)
農村の様子
農村の家庭を訪問すると庭にはバナナやパパイヤ、オレンジ、アボカドといった果物や野菜がなっており、本当に栄養不良児がいるのだろうと疑ってしまう。ただ実際の生活をみると、住民は自宅の庭になっている果物や野菜にはあまり見向きもせず、小さな子供から大人まで村の雑貨屋でポテトチップスやコカ・コーラ等を買って飲食している様子が見られる。また最近は携帯電話の普及もあり、わずかな現金収入はこれらの購入にあてられている。食糧やモノがないのではなく、あるものを適切に配分、活用していないという状況もみられる。
グアテマラ政府はというと、農村の保健や教育にはあまり重点をおかず、インフラ整備やモノの支給に予算を割り当てがちである。どちらも重要なのだが、それが住民のニーズに基づいていないものだったり、あるいは選挙の票集めが目的であったりすると、有効活用されないままになりがちである。
このような状況の中で、住民が主体となって自身の力で考え、生活を改善してくためのアプローチが有効であると考え、グアテマラでも特に貧しい地域の市を対象に、生活改善アプローチを導入した。市の職員を生活改良普及員として育成し、特に農村女性を支援していく試みを行った。これまでの「モノを支給する」支援とはまったく反対の「モノを支給しない」支援であり、モノを支給されるのに慣れていた住民には、当初はあまり快くは受け入れられなかった。ただ活動を実施するにつれ、農村女性の意識や行動が大きく変わっていく様子がみられた。
トアフラフ村のマリアさん
生活改善アプローチを導入した一つの村、トアフラフ村は人口約2000人の村で、村の周囲が崖に囲まれた険しいところにあり、住民のほとんどが先住民の村である。この村で、生活改善活動をしたいと希望する約20人の女性によって生活改善グループが作られた。市の生活改良普及員のファシリテーションによりまずニーズが話し合われた。ニーズとして家庭や家族の衛生状況を改善する、洗濯場を改善する、といったものが挙げられた。
そのニーズの話し合いのなかでグループメンバーの1人マリアさん(仮名)の家に台所がなく、屋外で調理していることがあげられた。村のほとんどの家庭に台所そしてカマドがあるなか、唯一この家庭だけが台所もカマドもなかった。
女性グループのメンバーは、まずこのマリアさんの状況を改善しようということになり、みんなで協力してカマドを作ってあげることにした。グループメンバーそれぞれが自分の家にあるもの、土やブロック、ビニールシートなどの材料を持ち寄って、みんなで一緒にカマドづくりを行った。
グループメンバーの協力により、マリアさんの家には台所とカマドができ、壁にはビニールシートが張られ、ごみやほこりも落ちないようになった。村で唯一、屋外で調理していたマリアさんも屋内で立って調理できるようになった。
しかしそれから数か月後、村を襲った豪雨によって大規模な土砂崩れが起こり、マリアさんの家の台所もカマドもすべて流されてしまった…
それを市の生活改良普及員から聞いた私は、マリアさんはさぞかし悲しみ落ち込んでいるだろうと思い、普及員に「マリアさんは大丈夫?どうしてるのかな…?」と聞いたところ、
「またみんなと一緒にカマドを作りたい!」って言っているよ、ということだった。
マリアさんにとっては、「カマドを持てた」ということ以上に、「村の仲間たちが自分のためにカマドを一緒に作ってくれた」ということの方が嬉しかったようだった。それまで村で一番貧しくて、周縁に置かれていた自分に、はじめて周りの女性たちが注目してくれ、自分のためにみんなが協力してくれたことが何よりも嬉しかったのだろう。
カマドというモノ自体よりも、カマドをみんなで作る過程が楽しくて、そして仲間から自分という存在が認められているというのが嬉しかったに違いない。カマドという「モノ」はなくなっても、みんなで協力して作ったという経験そして仲間はなくならない。だからこそカマドがなくなったことを嘆き悲しむのではなく、またみんなで作れば良いという希望が持てたのではないかと思う。
マリアさんには仲間がいるという意識を持つこと、自分が大切にされていると感じることが重要だった。「モノ」よりも「仲間」を持つこと、そして「自尊心」こそが、人々の改善へのさらなる意識向上のために重要であること、それをあらためて感じさせられた出来事だった。