祈りの集積~加藤美紀個展~  2019年7月13日~7月30日
KIYOSHI ART SPACE
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開廊時間 火曜日~日曜日11:00~19:00
休廊日 月曜日&祝日

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『祈りの集積』それは、白狐の言葉として記載されている。『那由多の祈りはここに集積する。我ら伏見の神使白狐」。しかし、加藤の作品の一枚一枚が、祈りの結晶のようにも見える。加藤の祈りとは何か。

日本のアート界で、女として描き、発言し、生業を立てるのは困難だ。
加藤の描く女性たちは、凛とした気品がただよい、清々しく、在る。
歴史的建造物や、神社仏閣の前に佇む女性たち。そこには、女の楽しさ、喜び、悲しみ、苦しみ、願い、祈り、生きる意志、狂気、、、。女としての様々な感情が描きこまれている。
加藤が描くとき、彼女は描く対象の建造物や神話などの歴史考証を徹底的に行う。そして、その地を訪れ、草木や生物、風や匂いを感じ、そこに生きたであろう女性を作り出す。その女性の生きるストーリーを想い、一瞬を切り取り、全てを表現する。
彼女の描く女性たちは、社会の付属物でも、誰かの所有物でもなく、一人の人間として、神として、精霊として、独立した意志をもち、そこに存在している。着物や帯留、装飾品に、自己を表現し、まなざされる存在としてではなく、まなざし、自己表現をする主体として、そこに君臨している。(1)
彼女の絵を観ると、女として生き、女として描くことの意味を考えさせられる。
絵の世界は、今も厳然と、男社会だ。
https://wan.or.jp/article/show/8378

彼女の姪子さんが、その差別に傷つき、『結局、上に立つのは男ばかりで、元々能力として、男性の方が優秀なのなら、自分は頑張る意味があるのか』と絶望したという。『もともと能力として、男性の方が優秀』と若い世代に思わせてしまう差別の構造が、はっきりとある。加藤はそれを知り『感受性豊かで賢い若者にそう思わせてしまう社会に腹がたつ』とツイートしている。
『アート方面で、悔しく、気持ち悪い思いをたくさんし』、『ストレスで白髪がボソッと生えた』こともあるという彼女は、そんな社会に『ずっと怒っている気がする』。そして、『自分ではなく、大切な子がそんな思いを!となると、何とかしなくちゃと思う』のだ。
MeToo、医学部入試問題と、様々な差別の構造が明らかになりつつある今日、次世代のために『何とかしなくては』と感じる思いは共通だ。大学入試問題では、美術大学も俎上に上っていた。
『被害者であり続けることが加害者となる』(2)
『差別の告発は、自ら内在化した差別と闘うための責務である』(3)
ミソジニーの内在化は自己を切り刻む。(4)
これまで、被害を否認し、何でもないことと受け流してきた経験は、蓄積されて、女性自身を傷つけて来た。
被害を被害と認識できず、告発できなかった時代は終わった。
自らの被害を認め、構造を明らかにすることが、今の私たちの『自らに内面化された差別と闘うための責務』である。
もちろん彼女自身はそのようなことを思って描いてはいないだろう。
しかし、女として、私自身の問題を見つめ、様々な女性作家の作品に対峙し、その作品を評価し続けていくことは、一つのアクティビズムとなり得るのではないか。
そのような思いで、投稿させてもらった。

最後に。
ご自身の思いとは異なる文脈であろう、批評の投稿を、快くお受けいただいた加藤美紀さん、ありがとうございました。
Written by Arai.H

『心にある望み、それは今ある世界を形作る一つの分子。千年の時が流れ時代が変遷しても、人の生み出す願いは変わらない。過去現在未来、那由多の祈りはここに集積する。我ら伏見の神使白狐。願いを叶える者なり。人々の祈りの数が我らの力を強くする。』加藤美紀
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加藤美紀ホームページhttps://mikikatoh.com/

Twitter
加藤美紀*個展7/13~7/30清アートスペース(六本木) (@hinamokuren)さんhttps://twitter.com/hinamokuren?s=09

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文献
(1)「ジェンダー写真論」笠原美智子 2018 里山社
(2)「結婚帝国女の岐れ道」上野千鶴子・信田さよ子 2004 講談社
(3)「民が代斉唱」JUNG Yeong hae 2003 岩波書店
(4)「女嫌い」」上野千鶴子 2010 紀伊国屋書店