
「平和の少女像」等の展示への激しい抗議のために、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展」が開幕3日目にして中止に追い込まれた。重要な問題点をいくつも含む深刻な事態だが、本稿では以下の2点に絞って論じたい。
権力が扇動する攻撃
中止に追い込んだ攻撃の中には、わずか2週間前に起こった凄惨な京都アニメーション放火事件を真似た「ガソリンを撒くぞ」というテロ予告の脅迫さえあったという。中止は津田大介芸術監督の苦渋の決断であっただろう。
脅迫犯に対しては厳正な捜査と措置が行われるべきだが、しかし今回の事態を招いたのは政治家たちの圧力だ。中止を要求した河村たかし名古屋市長、その発言を是認し補助金の見直しを示唆した菅官房長官、それぞれ地元の首長・政権No.2という絶大な権力者である彼らがこの展示にあからさまに圧力をかけたことが、テロ予告脅迫犯はじめ多数の匿名の者たちに攻撃のお墨付きを与えた。
いかなる表現に対しても批判は自由だが(そして再批判も)、公権力を持つ者が中止を求める介入を行うとは、言語道断だ。「税金が使われているのだから政府や自治体が口を出すのは当然」などの一見もっともらしい意見もあるが、これはつまり、権力の側が気に入る作品しか展示できないということだ。これこそが、憲法21条が保障している表現の自由の抑圧だ。
公人として彼らには、このようにテロ予告まで招いて展示が中止に追い込まれた責任をどう考えているのか釈明をする責任がある。ところが今のところ、河村市長は企画者を責める発言すらしている。テロと戦い、卑怯な攻撃を許さないのが民主主義国家の政治家の責任ではないのか。これでは今回の事態は、権力者による表現抑圧によりテロが扇動されたと言わざるを得ず、日本は言論封殺する国への道を突き進んでいるのかと戦慄する。
少女像がなぜ「日本人の心をふみにじる」のか:被害者を責める
河村市長は中止を求めるにあたって、少女像が「どう考えても日本人の心を踏みにじるものだ」と発言した。河村市長に少女像展示について電話したという大阪市の松井市長は「我々の先祖がけだもの的に取り扱われるような展示物」と報道陣に語っている。
彼らは、ひっそりとたたずむあの小さな少女の像のどこから、そんな意味を受け取っているのだろうか。
少女像は、20年にもわたり毎週水曜日に「慰安婦」問題の解決を求めてソウルの日本大使館前でデモを行ってきた、元「慰安婦」当事者たちの勇気ある行動に敬意を表し、今後の世界で戦時性暴力が繰り返されないことを祈念して建立された「平和の碑」だ。
建立以来、日本政府は像の撤去を韓国政府に要求してきたが、その理由は「我が国政府の立場やこれまでの取組と相容れない」というものだ。日本政府はかつて「慰安婦」問題について謝罪と反省を述べ「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意」を表明しており、これが現在も日本政府の公式見解として外務省のHPに掲載されているのだから、現政権の豹変と矛盾はきわめて遺憾だが、それは措くとしても、今回河村市長たちが発した、「日本人の心を踏みにじっている」「けだもの扱いしている」という表現は、これまでの否定論や像への政府の否定的見解とは質が違うように思える。
すなわち彼らの態度は、「慰安婦」問題に関するこれまでの議論や論争を踏み越えて、像が、(彼らによれば)日本人を攻撃しているという非難にまで転じているのだ。言い換えれば、逆切れして被害者側を攻撃することに転じているのだ。
驚きの発言ではあるが、彼らのこうした態度は、私たちになじみのものではないか。気づく人もいるに違いないが、これはまさに性暴力において「被害者を責める」やり口だ。
彼らは、「慰安婦」問題に限らず、女性が性的な被害を訴えること、告発することそのものに対して、生意気だと怒りを感じ、「名誉を傷つけられた」と考えているのではないか。そしてそれは残念ながら、河村・松井市長など今回の登場人物に限らない。#MeTooの動きはじめ、ようやく日本でも女性たちが沈黙を破って性的被害に声を上げ始めたが、それでもなお現在進行形で、深刻なレイプ被害を訴える人に「その程度のことで」「女性が酔ったのが悪い」、「事実ならすぐに告発できたはず」等々と非難が浴びせられる。痴漢の被害を訴えても、「痴漢は大したことない、痴漢冤罪のほうが深刻」と責められる。加害者として告発されている当人だけでなく、何も関係がないはずの男性たちがこぞって、理性的で中立であるかのような態度を装って、女性がウソを言っていると責め、加害者が「冤罪の被害者」であるかのように同情し共感を惜しまない。
女性たちは決して「男は全部レイピスト」「みんな痴漢」などと言っているのではないのに、自分自身まで「不当」に告発されたかのように逆上する。そしてとにかく被害者に、被害を訴えたのはウソだった、告発して男性の名誉を傷つけて申し訳なかった、と言わせるまで許さないと言わんばかりに攻撃しふたたび沈黙させようとする。
これが日本の男性たちの多数派とは思わないが(考えたくもない)、少数であれそうした人々がいて影響力をもっているのは否定できないだろう。無意識的ではあれ河村市長らの言葉の底にも、この種の「性被害を告発する女」への怒りがあるのではないか。
今回の少女像への逆切れ攻撃は、韓国・「慰安婦」問題に対してのものだが、性暴力被害者をめぐる現状をみれば、いつ私たちが「日本の男の名誉を傷つけた」と攻撃の矛先になるかわからない。「慰安婦」問題が解決できないのは、性暴力を許容し加害を正当化しようとする日本の「文化」と地続きだ。賭けられているのは女性の人権なのだ。
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