夏も終わります。歴史が後戻りするような困った事態がいくつも起こった8月ですが、ことばの問題ではひとつ嬉しいことがありました。広島の原爆の日の子ども代表のあいさつです。

 広島の市立小学校の6年生という女の子と男の子が、マイクの前に進み出ました。文面が書かれた紙を広げて、その両端を2人で持っていましたが、ほとんど見ることもなく暗記していたようです。

 まず女の子が「私たちは、広島の町が大好きです」と口火を切りました。意外でした。だいたい男女2人が何かをするとき、男性が始めることが多いので――これも私の長年の経験則による刷り込みかもしれませんが――おやっと思いました。しっかりした口調で女の子が読み上げていきます。

 ひとつの段落が終わったら、今度は男の子が続けていきます。まだ声変わりのしていない男の子の高い声がよく響いていました。二度と戦争を起さないために、被爆者の魂の叫び世界の人たちへ伝え続けると、決意を述べて、最後の段落は男の子でした。「大好きな広島に学ぶ私たちは互いに思いを伝え合い、相手の立場に立って考えます。……被爆者の思いに、私たちの思いを重ねて、平和への思いを世界につなげます」と結びました。

 日常生活の大切さと、それを奪われた被爆者の無念さを説く2人の小学生のメッセージは感動的でしたが、それと同じくらい、この男子児童のメッセージの中で語った「私たち」が嬉しかったのです。

 男の子が改まったスピーチなどするときは「ぼくたち」と言うものだと、これも刷り込まれていました。今まで、男の子が「ぼくたち」と言い、女の子が「私たち」と言うのを聞き続けてきました。それどころか、男児女児両方いるときに全員を表す自称詞は、「ぼくら」が多かったのです。

 ちょっと古い歌ですが、「手のひらを太陽に」(やなせたかし作詞)という歌を思い出します。その冒頭の2節は、「ぼくらはみんな生きている/生きているから歌うんだ」でした。井上ひさし作の「ひょっこりひょうたん島」の歌も、「……ひょうたん島は どこへいく/ぼくらを乗せて どこへいく ウウウ…/苦しいことも あるだろさ/悲しいことも あるだろさ/だけどぼくらは くじけない……」というものでした。

 ここに出てくる子どもたちは、男児だけではありませんでした。女の子も男の子もいました。しかし、その自称詞は「ぼくら」でした。女の子が「ぼく」と言うとたしなめられるのに、子ども全体を指す自称詞は「ぼくら」だったのです。男の子が男女のこどもを代表して「ぼくたちは」と言うのを聞いたり、歌で「ぼくら」を耳にしてきた女の子たちは、違和感を持ち続けてきたのではないでしょうか。

 ところが、8月6日の子ども代表のメッセージでは、女の子も男の子も「私たち」と名乗ったのです。大人の自称詞では、「私たち」は男女ともに普通に使います。しかし子どもの自称詞では、男の子は「ぼく」、女の子は「わたし」と二分化されています。こうした日本語で男の子が「私たち」と言ったのは、画期的なことだと思います。これで初めて、男の子も女の子も含んだ自称詞が誕生したと言えます。

 このメッセージを考え、ことばにしたのは、マイクの前に立った2人の小学生なのか、それを指導した小学校の先生方なのか、わかりません。いずれにしても、メッセージの読み始めが女子児童だったこと、男子児童が「私たち」と言ったこと、この2つの事実から、広島の小学生と先生方の、ことばのジェンダーを乗り越えようとする意欲にあらためて敬意を抱きました。

 いつもの年にも増して、感慨深い8月6日でした。