前回のメキシコつながりで、今回はメキシコのマヤ族女性の民芸品生産グループの経験をご紹介します。
マヤ族を取り巻く環境
前回、メキシコには現在約65の先住民グループが存在すると書いた。おそらくマヤ族はその中でも一番名前が知られている民族であろう。マヤ暦やマヤ文明の遺跡は度々話題に取り上げられるし、映画の題材になったこともある。マヤ族はメキシコ南東部に居住し、「低地マヤ族」と「高地マヤ族」に分けられる。高地マヤ族は主に山間地に居住する民族で、低地マヤ族はカンクンやリビエラマヤといったビーチリゾート、チチェン・イッツアといった遺跡のある観光地の近辺に暮らしている。ただ、大観光地の近辺に居住していながらも、その観光による恩恵を受けることはほとんどない。観光客が落とすお金はホテルやレストラン、ブティック等を経営する資本家の懐に入り、そこに住む住民にはほとんど還元されない。
このような中、この観光地の近辺に暮らし、民芸品を生産するマヤ族女性グループを支援するプロジェクトがJICAによって実施された。対象となった女性達はそれまでも民芸品や生活必需品であるハンモックなどを仲間内で細々と作り、時には売っていたりもした。ただ、他の地域のお土産品を自身で見よう見まねで作ったもので、デザイン、材質・品質も悪く、観光客が買いたいとは到底思えるようなものではなかったり、値段もそのときそのときに適当につけられたりで安定した収入にはつながっていなかった。このような商品を、カンクンなどの高級リゾートのホテルやブティックでも販売できるような質の高いもの、そしてその地域やマヤ族の特色を活かしたものとすることを目指した。
民芸品生産者としての誇り
まず現地にある材料あるいは現地ですでに使われている材料を使うこと、そしてマヤ族や地域の特色を活かしたデザインを使うことを基本とした。たとえば熱帯地方であるこの地域では、住民はベッドの代わりにハンモックで寝ているが、そのハンモックの糸を使ったビーチバックやショール、マヤのシンボルがデザインされた洋服などが作られた。
そしてこれらの商品を、道端の屋台やありきたりなお土産屋さんではなく、高級ホテルやブティックで販売してもらえるよう売り込むことになった。さらにそれを、仲介業者を通してではなく、女性グループメンバー自らが赴き、プロモーションをし、販売することになった。女性達にはもちろんそのような経験はなかったため、コスト計算や商品の値段のつけ方、プロモーションの仕方や交渉のための研修や実習が行われた。
これらの研修や実習後、女性グループメンバーは、自分たちで商品を持って高級ブティックを訪問し、自分たちで自分たちが作った商品をプロモーションし売り込んだ
「今まで自分たちが村を出て、高級ブティックのお店の人と交渉するなんて考えられませんでした。はじめのうちは緊張しましたが、今では店の人と意見交換をするようになり、さらに冗談を言い合えるまでになりました」(グループメンバー談)
メンバーは、はじめこそは萎縮してしまい遠慮がちだったものの、経験を積むにつれて、そして自分たちの商品が高級ブティックに並ぶのを見るにつれて、少しずつ自分たちの言葉で自信を持ってプロモーションできるようになった。
先住民マヤ族としての誇り
このマヤ族女性グループの能力強化活動の一環として、メキシコシティにあるブティックや民芸品販売ギャラリー、博物館等への視察訪問が行われた。この訪問先の一つにメキシコ国立人類学博物館があった。
メキシコ国立人類学博物館は、その前身は1865年の国立総合博物館で1964年に人類学博物館として開館された、総面積が4万4000m2 、収蔵資料が約22万点ある世界的な歴史のある考古学博物館である。人類の誕生から古代マヤ文明やアステカ文明、そして現代の先住民文化や生活を紹介するフロアからなっている。メキシコの主要観光名所の一つであり、メキシコシティを訪れる国内外の観光客のほとんどがここを訪問するといっても良い。
ここで女性達は、マヤ文明時代に建設されたピラミッドなどの遺跡のレプリカを見たり、ウィピルと呼ばれる自身も普段着用している民族衣装が大切に保管されている倉庫などを見学した。
これらマヤ文明の遺跡レプリカを見学しているとき、メンバーの一人から博物館員に対して次のような質問があった。「最近観た映画では、マヤ族がとても暴力的な民族として描かれていましたが実際どうだったのでしょうか」。博物館員はこう答えた。「それはあくまでも征服者側によって作られたマヤ族のイメージであり、映画のために作られたイメージです。マヤ族をはじめとする先住民族の多くが滅ぼされたことを考えると、征服者側の方が暴力的だったといえるのではないでしょうか」。
この一連の視察のあと、参加者による振り返り会議を行った。その会議で先の質問をした女性が涙を浮かべながらこう述べた。
「今まで自分は先住民だということ、マヤ族だということを恥じて生きてきました。これまでまわりのメキシコ人からもカンクンやピラミッドに来ている観光客からもマヤ族ということで差別されてきました。自分の苗字はPechというマヤ族の苗字なのですが、『いもむし』という意味だといわれ、いじめられたこともあります。マヤ族であることも自分の苗字も嫌でした。
今日博物館で、メキシコ人観光客やさらに多くの外国人観光客がマヤの遺跡を尊敬のまなざしで見ているのを見て、そして自分たちの民族衣装が大切に扱われているのを見て、自分がマヤ族だということ、そして自分の苗字にはじめて誇りを持ちました」
マヤ族というだけで、先住民だというだけで差別される筋合いはまったくない。まったくないのにも関わらず、差別されることがある意味当たり前だと思ってしまっている他の多くの先住民の人々に、それが当たり前ではないということをどう伝えたら良いのだろうと考えさせられた。