2010.06.07 Mon
理論ときくだけで、いったいそれって、なに論なの?と思われる方も多いとおもう。日常生活のなかで「・・・理論」なんて言葉にはほとんど出会わないし、たとえばわたしでも聞いたことがあるアインシュタイン「相対性理論」なんて、世界でどれだけの人が理解できているのだろう。理性の「理」と議論の「論」、こう並べただけでもちょっと手ごわそうである。
そうとはいえ、わたしたちがそれぞれに異なりを抱えつつ、一つの社会で生きるためには、おそらくなんらかの理論が必要なのだ。
偶然〈わたし〉が生まれた日本社会にはすでに、わたし以外の〈わたし〉たちがなにかを了解しながらある規則に従って生きていて、時に衝突しても解決し、解決に至らない時には時が過ぎるのを待ち、そしてまた一緒に生きていこうとしてきた、長いながい営みがある。
〈わたし〉はそこに身をもって参加させられ(生まれてきた者は、有無を言わさず社会に組み込まれてしまうから)、必死に生き延びなければならない。言葉をまなび、見よう見まねで他の人と暮らし・生き始めなければならない。だけどこの社会のしくみなど、じつは誰も理解していない。そんな不思議な生き方をわたしたちは実際にしている。
たとえば、わたしには兄がいて、ある時、洗濯物をめぐって兄との扱いの違いに気づかされた。その時の母の言葉は、〈女の子なんだから、ちゃんと自分でしまいなさい〉だった。少しづつ、家の中も外も、女は男とは違う扱いをされることを、それがどうしてなのかは分からないけど、学び、そして身につけた。周りに聞いても、〈うちでもだいたい、そんな感じ〉という。
社会のなかで多くのことは、なぜだか理由は分からないけど、そうなっているし、そう動いている。理論とは、その「理」由の分からなさを、繰り返し「論」じていくことから生まれるのだろう。
フェミニズム理論とは、女性たちが日々経験する、分からないのに生きさせられる状況に対して、〈わたしは、分からない〉とまず声をあげ、分からなさの在り処を突き止め、そして、分からないことを生きさせられることは、理に適っていないと論じ、説明を求めると同時に、〈わたしが生きやすい社会〉、つまり、納得して生きられる社会を構想していこうとするものだと思う。
第2巻の編者江原さんは、理論を説明して、それは道先案内だけでなく、わたしたちが現在いる場所である〈ここ〉がどこかを教えてくれる地図に譬える(でも、それだけでは、フェミニズム理論を説明したことにはならないし、そう説明してしまうことは、「ごまかし」でさえある、という江原さんの指摘については、是非本書を手に取って、確かめてほしい[本書 3頁])。
たしかに、必死になって道を探しあぐねている時、自分が現在いる場所がどこなのか、目的地がどこにあるのか、そして目的地と現在地との位置関係が分からなければ、〈ここ〉にいるというのに、そこが〈どこなのか〉わたしたちはまったく分からないのだ。
本シリーズ第一巻『リブとフェミニズム』のあとにこそ、こうした〈分からなさ〉の在り処を突き止めようとする、理論の在り様を読者それぞれに楽しんでほしい。
15年前には、〈知識批判〉と〈労働と身体〉との二部構成だったのが、現在では、〈モダンとポストモダン〉、〈リベラリズムとフェミニズム〉という二つのテーマが増補されている。この増補によって、フェミニズム理論のなにが変化し、なにが変わらなかったのか、については、一人ひとりの経験に照らして判断されるのがいいと思う。では、わたし自身がどう感じたか。
フェミニズム理論がわき上がってくる、現実社会の〈分からなさ〉、の根っこは変わっていない。抽象的にいえば、〈近代社会〉と〈身体性〉をめぐる問題だ。もっと具体的にいえば、くらくらと目まいを起こしそうなくらい、わたしにとっての壮大な〈分からなさ〉は、すでに江原さんによって、20年以上前に以下のように指摘されている。
「近代社会システムのもっとも中心的な特徴は、前近代社会においては、社会システムの中心的問題として、当該社会イデオロギーに連結内在化されていた、次世代の産出と養育の機能を、個人の自発性と恣意性の領域――自由の領域――においてしまったことである。しかし、この私生活領域こそが近代社会にとってのかくれた前提である以上、それは「安んじて労働者の本能」にまかせておかれはしなかった。次世代の産出と養育は何としても果たされねばならない課題であったのだから。[…]それゆえ、女性身体は、近代におけるもっとも中心的なイデオロギーの場、闘争の場となった」(『フェミニズムと権力作用』113頁より。傍点は省略)。
諦めずに、〈分からなさ〉を突き詰めていく理論。それが、わたしにとってのフェミニズム理論である。そして、一人ひとり〈わたしにとってのフェミニズム理論〉といえるところが、フェミニズムのフェミたるゆえんでもあろう。(岡野八代)
以下、本書にも読書案内があるが、〈わたしにとってのフェミニズム理論〉を紹介しておきたい。
江原由美子1985 『女性解放という思想』
女性はなぜからかわれるのか、女性差別を差別として告発しにくい理由、女性と家族、など現在でも解かれていない謎を、あきらめずに解いていこうとする、日本におけるフェミニズム理論の出発点だと思います。
江原・金井淑子(編)1997『フェミニズム (ワードマップ)』
フェミニズム理論のさまざまな諸潮流が概観でき、フェミニズム理論内部での軋轢が、わたしたち自身内部の葛藤と同じような対立図式をもっていることに気づかされます。本書をお読みのあと、同じ編者による、テキストリンク 『フェミニズムの名著50』を読むことをお勧めします。
上野千鶴子1990 『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平 (岩波現代文庫)』
09年に、新しく文庫で手に入るようになりました。 『マルクス主義とフェミニズムの不幸な結婚』といわれたほどに、人間の解放を唱えながら、女性たちの現状を説明し得なかったマルクス主義との理論的格闘。本書からわたしは、思想と理論の違いを学びました(第二巻所収、「リベラリズムの困難からフェミニズムへ」291頁を参照ください)。
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