2010年にチュニジアで起こり、アラブ諸国に広がった「アラブの春」と呼ばれる民主化運動。その動きがきっかけとなり、2011年にはシリアでも、アサド大統領による長年の軍事独裁政権から脱し、平和的な方法で自国の民主化をはかろうとする運動が始まった。声を上げた市民に対し、アサド政権は暴力による制圧をはかり、市民の中から、自分たちの命と権利を自力で守るべく武器を持って抗う「自由シリア軍」が現れた。
2012年の中頃までは、一時的に自由シリア軍が優勢となったものの、政権側が海外からの軍事的支援を積極的に取り込んだり、イスラム原理主義者の「過激派」と呼ばれる武装集団が介入してくるなど、さまざまな状況によって事態はいっそう混迷を極め、泥沼の戦争が繰り広げられていった。
『娘は戦場で生まれた(英題は“For Sama”「サマへ」)』は、2012年にシリアのアレッポ大学でマーケティングを学ぶ学生だったワアド・アルカティーブ監督が、2016年のアレッポ陥落まで市民ジャーナリストとして現地に残り、そこで撮りためた映像をまとめた、衝撃のドキュメンタリー映画である。数々の社会派ドキュメンタリーで定評のあるエドワード・ワッツが共同監督をつとめている。
もともとジャーナリストを志していたアルカティーブ監督は、2012年の、学生たちによる平和的なデモ運動への参加を機に、市民ジャーナリストとしてスマホで撮影を始める(その後、独学で撮影方法を学んだ)。そして、反政府勢力が停戦合意によりアレッポからの撤退を決め、街を明け渡す2016年12月まで、激しく破壊され生気を失っていく街と、自分が生まれ育った街を愛し、最後までそこで生きる選択をした市井の人々の苦しみや憤り、あるいはささやかな、かけがえのない日常の喜びを撮り続けた。
同時に彼女は、その間、ジャーナリストとして果敢に撮影を続ける傍ら、医師を志し、その後アレッポに残った唯一の病院で医療行為に従事するハムザと出会い、恋に落ちて結婚する。やがて妊娠が分かり、葛藤の末、彼女は爆撃が止むことのない、アレッポでの出産を決意するのだった。英題にある「サマ(Sama)」は、「空」という意味をもつ、アレッポで生まれた娘の名前である。日々、爆撃によって傷つき、奪われていくおびただしい数の命と向き合いながら、同時に、死と隣り合わせで生きている娘への愛と、「無事に生きて」と願う気持ちの普遍性につよく胸を打たれる作品だ。
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これまで、シリアの現状を映したドキュメンタリー映画は何本も見てきた。もちろん、どの作品にも切実な訴えがあり見逃すことはできないと思っている。だが、本作『娘は戦場で生まれた』は、それらの中でも「もっとも見るべき作品」として推薦したい。シリアの現状を知っているかどうかに関わらず、本作をすべての人に見てほしいと思うのは、ニュースで断片的に取り上げられることの多い破壊や死だけでなく、それらの手前にある、本来なら誰にも取り上げる権限などないはずの、わたしたちが手にし得るものと同じ、一人ひとりの命や愛について強く、光が当てられているからだ。(本作と状況は全く異なるが、東日本大震災直後の福島を取材した後、思いがけない妊娠を知ったことで自らにカメラを向けた、海南友子監督の『抱く(HUG)』の生まれくる命への切実な願いを強く想起した)
ただ、「すべての人に見てほしい」と書きながら、本作は病院での場面が多く、そこでは常に血が流れ、傷ついた人や息絶えていく人たちがいる。言葉で描写するのがためらわれる悲痛な状況や、凄惨な死も登場する(同時に、奇跡的な命の回復もある)。その惨さが、観ていて耐えられないと思う人もいるかもしれない。それでもわたしたちは、せめてこの惨状を放っておく世界に、自分も地続きで生きているのだと自覚している必要があるのではないかと、強く思う。
本作は、女性監督だからこそ撮れた映画とも言える。そのことについての、アルカティーブ監督自身の言葉を紹介したい(以下、映画の公式サイトにある<監督のメッセージ>より引用)。
私は様々なニュースで取り上げられてきた死や破壊に焦点を当てるのではなく、命と人間愛についての物語を記録することに興味を持っていました。そして私は女性であるために、アレッポの保守的な地域にいながらも、伝統的に男性では近づくことのできない女性や子供たちの経験を追うことができました。そのおかげで、私は自由のための闘争のさなかに普通の生活を送ろうとする、シリアの一般市民たちの知られざる現実を伝えることができました。
同時に、私は自分の人生を生き続けました。私は結婚して子供をもうけました。私は、自分が持つ多くの異なる役割を、うまくバランスを取ろうとしていました。母親のワアド、活動家のワアド、市民ジャーナリストのワアド、そして映画監督のワアド。これらすべての“私”が物語を具体化し、導いてくれました。こういった私の人生の様々な側面が映画に力を与えてくれている、と感じています。
本作は、カンヌ国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。韓国映画『パラサイト』の受賞で湧いた今年のアカデミー賞でも、長編ドキュメンタリー賞にノミネートされるなど(受賞は『アメリカン・ファクトリー』)、世界各地で数々の賞を獲得している。これから先、いつまでも、サマが見上げる空が平和であり続けますように。そしてシリアに、穏やかな日常が戻りますように――。本作が多くの人に届くことも、それらの実現への一歩になると信じたい。公式ウエブサイトはこちら。
2月29日(土)より東京・シアター・イメージフォーラム、kino cinema立川高島屋S.C.館、3月7日(土)より愛知・名演小劇場ほか全国順次公開!
監督:ワアド・アルカティーブ、エドワード・ワッツ
2019年/イギリス、シリア/アラビア語/100分/英題:FOR SAMA
日本語字幕:岩辺いずみ 字幕監修:ナジーブ・エルカシュ
配給:トランスフォーマー 宣伝:テレザ、スリーピン
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