私が大学院生として日本女性学会の大会に参加するようになったのは、バックラッシュをテーマにしたシンポジウムやセッションがよく開かれているような頃でした。当時は、誰が男女共同参画やフェミニズムを「攻撃」しているのか、それはどのくらいの規模で、どの程度組織化されているのか、といったことについて、推測されてはいましたが、はっきりとはまだ分かっていないような状況でした。

 それから時が経つにつれ、右派市民運動団体の存在は次第に可視化されていきました。また、インターネット、とくにSNSが普及するとともに、性差別や人種差別が臆面もなく公に語られるようになり、インターネット空間から派生した右派市民運動も登場するようになりました。

 本書は2016年に大阪大学に提出した博士学位論文をもとにしています。フェミニズムへの逆風が吹き荒れるなかで私は研究をスタートしましたが、そのなかで一貫して持ち続けてきた問題意識があります。「右派市民運動に参加している女性たちは、なぜジェンダー平等に反対しているのか」。本書では、右派市民運動の事例として、男女共同参画反対運動と「行動する保守」を取り上げています。それらの運動に参加する女性たちに着目しながら、女性の権利とジェンダー平等を希求してきたフェミニズムに反対する女性たちの保守運動には、フェミニズムの観点からどのような意味が見いだせるのかを試みています。

 保守系雑誌記事の分析や、右派女性団体でのフィールドワーク、インタビュー調査をとおして私が常々思うのは、私と「彼女たち」の距離は、そんなに遠くないのではないかということです。夫や姑との人間関係に悩みながらも、家事・育児・介護は嫁がやるものという環境のなかで長年にわたって家庭内ケア労働を担い、そうすることで築いてきた「自分の家庭」を大事にしたいという気持ち。自分たちの運動であるにもかかわらず、数人の男性が下ネタで盛り上がることで瞬時にホモソーシャルな空間がつくられ、そこから排除されてしまうという運動の経験。

 右派市民運動は「カルト」という言葉で、異質な存在として語られることもあります。しかし、自分とは全く相容れない存在と最初から想定してしまうのではなく、この右傾化し続ける日本社会で生きる「女性」として、私と「彼女たち」はどの点においてすれ違っていくのか、本書がそのことを考えるきっかけになればと思います。目次等の詳細や書評掲載情報は、人文書院のウェブページで見ることができます。