2010.08.14 Sat
エルキュール・ポアロ、ミス・マープルなどの名探偵を生みだしたアガサ・クリスティの作品にもかかわらず、一人も殺されない稀有な小説。「殺人が起こらないアガサ・クリスティなんて」と言うなかれ。実に含蓄にあふれた物語なのだ。 主人公は、「分別のある」中年のイギリス人中産階級女性(48歳という設定)。中東に暮らす末娘(成人)が病気になったと聞いて、「よき母親」として家政の援助に出かけたその帰り道の物語だ。砂漠を横断するバスが遅れたことによって砂漠の真っ只中の駅舎(宿泊施設)で数日列車を待たなければならなくなった主人公が、自分の人生を振り返る。有り余る時間の中での内省により、優秀な弁護士の夫に愛され、子どもたちを立派に育てたという「分別のある幸せな主婦」という自己イメージが、揺らぎ始める。自らの都合により、夫の人生をゆがめ、また、子どもたちに母親の愛を信じさせることに失敗し続けてきた自分の姿を直視せざるを得なくなるそのストーリー展開は、とってもスリリングだ。
人生の半分以上過ぎた段階で(2010年の日本においてすら48歳では人生の半分は過ぎている人が多いだろう)、己の利己的なあり方、家族=他者に対する支配欲に気づいてしまい、家族を大事にもせず、家族から愛されてもいないという事実に直面することは恐ろしい。この恐ろしさが分かるのは、中年期になった(との自覚がある)からこそだ。おそらく、この本に何歳で出会うかで読み方は変わってくるだろう。
ダメダメな部分が多かろうとも自らを直視し、なりたい自分とはどのような存在なのかを確かめつつ、そのような存在になるよう歩むこと。そういう大人になるべきなのだと、改めて思う。そういう意味で、この物語は私にとってはとってもフェミ的。
特筆すべきは、栗本薫の解説がすばらしいということ。長くはない解説だが、これだけでひとつの作品でもあり、泣ける。(momiji)
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