ラビーンドラナート・タゴール(1861-1941)は、インド・ベンガルの詩人・作家である。詩集『ギーターンジャリ』(ベンガル語で“歌のささげもの”を意味する)が世界的に注目され、1913年に非ヨーロッパ語圏で初めてとなるノーベル文学賞を受賞。文学者にとどまらず、音楽家、思想家、画家、また教育者、農村改革者としても才能を発揮し、さまざまな偉業を残した人だ。本サイトの読者には、婦人運動家の高良とみ(1896-1993)と親交が深かったことで、その名を知っている人も多いかもしれない。

音楽家としての彼が生涯に作った曲の数は、実に2000を超え、それらは「タゴール・ソング」と呼ばれている。

ベンガルには、タゴール・ソングを知らない人はいない。というのもベンガル地域は現在、インドとバングラデシュにまたがっているが、両国の国歌は、どちらもタゴール・ソングからそのまま採択されたものなのだそうだ(正確には、バングラデシュの国歌の作曲は別の人である)。彼の作品が世に出てから100年以上を経た今なお、彼がつむいだ言葉や思想はベンガルの人々の暮らしや文化とともにあり、タゴール・ソングもまた深く愛され、あらゆる世代の人に歌い継がれているという。

映画『タゴール・ソングス』は、タゴールが生前に作った歌が、どのように今を生きるベンガルの人々の暮らしに根付き、文化として広がりを持ちながら、一人ひとりの人生とともに在るのかを探っていくドキュメンタリー映画である。全編、多様な生い立ちや経歴をもった人たちが歌うタゴール・ソングが次々と紹介されていく。そのバリエーションの豊かさは、驚くほどだ(ちなみに、わたしは冒頭から流れる「もし 君の呼び声に誰も答えなくとも ひとりで進め」と歌う「ひとりで進め」と、「赤土の道」が大好きです)。

昼中の街角から夜の屋台まで、ベンガルで出会う人々が口々にタゴールを自分の身近な存在として語り、好きな詩や歌を口ずさむ、その熱量と、タゴールの言葉への強い信頼にも圧倒される。


映画の中でフォーカスされる人々は、ベンガルの吟遊詩人や、バングラデシュを代表する歌手、ラッパーといったさまざまなジャンルで活動するアーティストたち。ほかにも、レコードコレクターや人生をかけてタゴール・ソングを継承する教育者。あるいは、ストリート・チルドレンだった青年やタゴールの詩にエンパワーされていく大学生などである。

タゴールにまつわる、どの人のエピソードも興味深いが、個人的には19歳の大学生オノンナ・ボッタチャルジーさんが、パートナーシップについて叔母と話し合う場面でのタゴールの詩からの気づきに共感し、男尊女卑の残る社会の規範に従うことを遠回しに求める父親と口論するシーンで、彼女がタゴールを持ち出して説得する様子が印象深かった。


佐々木美佳監督は、東京外国語大学在学中にタゴール・ソングと出会い、卒論での研究活動をとおしてその魅力に触れ、それをもっと多くの人たちに伝えるために、ドキュメンタリー映画という手法にたどり着いたのだそうだ(監督のインタビュー記事が公式ウエブサイトに掲載されています)。佐々木監督の、取材対象への敬意と率直さに裏付けられた探求心と、撮影や録音・編集で制作に携わったスタッフの方たちとの、素晴らしいアンサンブルで仕上がった作品だと思う。

人々が行き交うベンガルの街並みや、ときに厳しさを思わせる自然の風景と共に流れるタゴール・ソングに身をゆだねていると、その歌の中にある、人間や自然を慈しむ気持ちが異国にいる自分にも諒解できるように思う。壮大で普遍的なメッセージをもつ歌が、具体的な人間の、個人的な人生を支える糧になる。それは歌と人との、理想的な在りようの一つではないだろうか。公式ウエブサイトはこちら。(中村奈津子)


現在、ポレポレ東中野で上映中。オンライン上の映画館「仮設の映画館」でもご覧いただけます。6月27日(土)からは愛知・名古屋シネマテークで、そのほか全国順次公開!

2019/日本/105分/ベンガル語、英語/カラー/DCP/ドキュメンタリー
監督:佐々木美佳/All Songs by ラビンドラナート・タゴール

撮影:林賢二/録音・編集:辻井潔/整音:渡辺丈彦/構成・プロデューサー:大澤一生
出演:オミテーシュ・ショルカール、プリタ・チャタルジー、オノンナ・ボッタチャルジー、ナイーム・イスラム・ノヨン、ハルン・アル・ラシッド、レズワナ・チョウドリ・ボンナ、クナル・ビッシャシュ、シュボスリシュ・ロエ、ニザーム・ラビ、ラカン・ダース・バウル、スシル・クマール・チャタルジー、リアズ・フセイン、鈴木タリタ/現地コーディネーター:モヒウッディン・ルーベル・デルタ、タシュヌヴァ・アナン、二ロエ・オディカリ/ベンガル語翻訳:スディップ・シンハ、佐々木美佳/タゴール・ソング翻訳監修:奥田由香/英語翻訳:細谷由依子

助成:文化庁文化芸術振興費補助金/宣伝:contrail/製作・配給:ノンデライコ http://tagore-songs.com/