子どもの頃、夢中になって読んだルイーザ・メイ・オルコットの『若草物語』。南北戦争終結後の1868年、オルコットが書いたマーチ家の4人姉妹の半自伝的小説は、出版後、アッという間に世界中の少女たちの間でベストセラーとなった。

 映画「若草物語」は、1933年、キャサリン・ヘップバーンがジョーを演じ、その後もジャネット・リーやエリザベス・テイラーなど名女優が次々と演じている。

 今回の女性監督グレタ・ガーウィグが描く「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」(2019年 アメリカ 原題 Little Women)は、次女ジョーを主人公に、現在(いま)を生きる4姉妹を、それぞれの視点から描いた最新作。夏の暑い日、京都シネマで、スッキリと胸のすく思いで見た。第92回アカデミー賞で衣装デザイン賞。作品賞、脚色賞、主演女優賞、助演女優賞、作曲賞にもノミネートされた。

 長女メグ(エマ・ワトソン)は女優への夢を捨て、自ら望んで妻と母親の道を選ぶ。作家志望の強い意思をもつ次女ジョー(シアーシャ・ローナン)は、この映画の主人公。オルコットの分身でもある。ピアノを愛する内気で繊細な三女ベス(エリザ・スカンレン)は病弱で、猩紅熱にかかり、やがて亡くなる。絵が大好きで個性的な四女エイミー(フローレンス・ピュー)は、隣の邸宅に住むローリー(ティモシー・シャラメ)が、姉のジョーに心を寄せていたことを知りつつも、後に二人は結婚する。南北戦争で北軍従軍牧師として戦地に赴く父親の留守を、しっかりと娘たちを守る母親のマーミー(ローラ・ダーン)と、マーチ家の父方の伯母を演じるメリル・ストリープが、また味わい深い。

 なによりもセリフがいい。リズム感のある、歯切れのいいセリフの一つひとつが、あまり英語力のない私でも字幕を見なくても耳にすんなりと入ってくる。

 原作から150年以上の時を経て、なお新しい。4姉妹を演ずる4人の女優はみんな20代、生き生きと「現在(いま)を生きる」彼女たちの見事な演技が、19世紀の物語を21世紀に蘇らせてくれたのだ。

      シアーシャ・ローナン(ジョー・マーチ)


 主人公ジョーが一番大切にしていることは「書くこと」。そのためには何もいらない。ローリーのプロポーズを断るジョー。女と男の的確な言葉のやりとりが心地いい。その後、ジョーは小説家をめざしてニューヨークへ旅立つ。妹ベスの病気の知らせ受け、ニューヨークから戻ってベスを看取った後、その悲しみから逃れるように「ああ私も誰かに愛されたい」とつぶやくジョーに、母親マーミーがそっと返す言葉、「それは、愛ではないわ」というセリフに実感がこもる。

 原稿を出版社に売り込むジョーと編集長との交渉。本を売るためには、ジョーを結婚させ、ハッピーエンドの結末を書く代わりに、自著の著作権は絶対に譲らないというジョーは、なかなかに、したたかでシニカルだ。原作者オルコットは小説のジョーとは違って生涯、結婚を選ばなかったという。

 少女時代、ジョーの強さに憧れつつ、メグの家庭的な優しさにも心惹かれて、私は読んだ。


 もう一冊、これも子どもの頃に読んだルーシー・モード・モンゴメリの『赤毛のアン』シリーズ。33歳でモンゴメリが書いた『赤毛のアン』もまた、『若草物語』と同じく、19世紀の少女たちの世界を描いている。

 アン・シャーリーは痩せて赤毛、そばかすだらけの女の子。両親の死後、孤児となったアン。孤児院に「男の子を養子に」とマシューとマリラは望んでいたが、馬車で駅まで迎えにいくと「女の子」だったことに、がっかりされながらも二人に引き取られて、アンは11歳でプリンス・エドワード島にやってくる。

 空想が大好き、おしゃべりなアンに「あら、私とおんなじだわ」とワクワクしながら読んでいった。だけど、「アンシリーズ」を読みすすむうち、アンが、ギルバートと婚約した時点で、なんか面白く読めなくなってしまったことを、子ども心に「なんでだろう?」とずっと不思議に思っていた。


 後に小倉千加子の『「赤毛のアン」の秘密』(岩波書店 2004年)を読んで、ようやく納得。

 「少女が孤独に陥ることなく、現実の中で居場所を発見する方法-それは〔結婚〕である。モンゴメリのテーマはただ一つ〔結婚〕にある」「愛される女の幸福に酔う。結婚して家に入ること=自分で、ものを考えることをやめる女になること」と喝破する。

 モンゴメリは1942年、67歳で「うつ病による薬物の過剰摂取による自殺」をしたとされる。牧師の妻としての内と外の矛盾を抱えて。

 同時代の作家、『私ひとりの部屋』を書いたヴァージニア・ウルフもまた、1941年、ウーズ川に入水自殺をはかった。

     ブルームズベリーのヴァージニア・ウルフの家


 「「女性であること」と「作家であること」の両立不可能性に、モンゴメリとヴァージニア・ウルフは問いを投げかけた。今もその問いに明確な答えは出されてはいない」と小倉千加子はいう。1998年、ロンドン・ブルームズベリーのヴァージニア・ウルフの家を訪れた時のことを、ふっと思い出しながら、私は、この本を読んだ。

 さらに小倉千加子は書く。「アンの〔孤独〕は、戦後日本のすべての努力家の少女の〔孤独〕の表象でもある」と。ほんとにそう思う。

 私も20代で結婚したばかりの頃、旧姓ではなく、戸籍姓で名前を呼ばれて「えっ、誰のこと?」と違和感を覚えたことがあった。1960年代末、千葉に住み、新聞記者のもと夫は、三里塚闘争の取材にいったきり、運動側に身を置いて家には帰ってこない。私は乳飲み子を抱え、家事と育児に追われて身動きもできない。学生時代、同じように生きてきたのに「なんで?」と理不尽な苦い思いをしたことが忘れられない。やがて20年後、離婚を選んで、ようやく少し答えは出せたけれども、なお正解は見つからない。

 19世紀、オルコットやモンゴメリ、ヴァージニア・ウルフが、悩み、もがいたように、20世紀になっても女の生き方は変わらないのだろうか。21世紀の今、女たちはそこから抜け出しているのだろうか。

 しかし、映画「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」には希望がある。それは、女だけでなく、男たちのあり方にも等しく、「自分を生きる」姿が、きちんと描かれていたから。

 それはさておき、この暑い夏。どうにも断りきれない仕事に追われて、やっと時間を見つけて近くの温泉へゆく。去年は90代の母と叔母と娘と孫娘で熊本の家へ帰り、阿蘇まで出かけたけれど、今年はコロナで、とても無理。そこで亀岡の湯の花温泉へ、車椅子と手押し車を車に乗せて、娘の運転で一泊二日の小さな旅。母たちを露天風呂に入れ、とれたてのお野菜、お魚とお肉もたくさんいただいて。少しほっこりとしたけど、ああ、疲れたぁ。

 まだまだ役割は終わらない。けれど、あの映画に勇気をもらったから。「さあまた、現在(いま)を、みんなといっしょに生きていこう」と、暑さが続く日々、無事に元気に毎日を送っている。

(c)映画「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」ソニーピクチャーズ エンタテインメント