残暑厳しい折、今回は涼しいところのお話です。みなさんに少しでも涼気を感じていただけたら幸いです。

 信州に山荘を持つ友人Y子の誘いを受けて、しばらく山荘に滞在する経験をしました。本当に涼しくて、猛暑疲れも回復できて、本当に良い休暇になりました。

 Y子は、今は亡き山好きの夫と2人でがんばって40年前に山荘を手に入れました。夏の間や連休のとき、1人でやってきて利用しています。40年前と言えばバブル時代、別荘地が騰貴の対象になり、また、サラリーマンの間でもちょっとした別荘ブームの起きた時代です。ですからそのころ山荘を建てたり買ったりした世代が、今や70代80代で、高齢化の波はまさにここにも押し寄せていました。Ý子から聞く別荘地にいま起きている話は、高齢化の進行に伴う深刻な話ばかりでした。

A男+A子さんご夫妻の話:
 ともに80代、足腰はまだ丈夫で、夏の間は山荘で過ごしている。

 つい1か月ほど前、買い物から帰ったA男さん、バックで門の近くに車を停めようとして、思いきりアクセルを踏んでしまった。車は門柱を倒し、山荘のある斜面を横転して、下の道路に落ちる寸前で止まった。幸い運転していたA男さんはどこもけがもなかったが、車は大きく破損し修理にも大金がかかるとわかり、廃車にすることにした。A男さんはもともと運転には自信があって、今まで事故も起こしていなかった。でも、他人の事だと思っていた誤発進をやってしまった。それにしても他人を巻き込まなくてすんだのが不幸中の幸いだった。同じような事を繰り返したりしないようにと考えて、免許も返上することにした。

 とはいえ、車がないと山荘暮らしは大へん、ゴミ捨てに2人でごみステーションまで一日おきに通っているとのこと。食料品などは、生協や通信販売を利用し、野菜は地元の農家の人に運んでもらって何とかしのいでいる。9月に帰るときは、都内に住む長男に迎えに来てもらうことになっている。

B男+B子さんご夫妻の話:
 B男さんは、70歳まで都会で広告関係の会社に勤めて精いっぱい働いてきた。定年後も関連の仕事を続けたが、それら一切の仕事から退いたとき、今までの生き馬の目を抜くような激しい競争社会から解放されて、最後の人生を自然の中で人間らしく生きたいと思った。妻のB子さんを説得して、都会の家を売って信州の別荘地に中古の山荘を購入した。終の棲家にしようと冬に供えて燃料の木をもたくさん買い込み、薪割りをして体力づくりにも励んだ。

 夏は涼しくて快適だった、秋も紅葉が錦を飾って素晴らしかった。しかし、冬は寂しすぎた。B男さんは一面真っ白に覆われた静寂な美しい自然に堪能したが、B子さんは淋しさに耐えられず、終には鬱病のようになってしまった。そして、雪解けをまたずに都会に戻ってしまった。

C男+C子さん夫妻:
 C男さん80歳、C子さん76歳、最近その別荘地に中古の山荘を買って、首都圏のある市から越してきた。C男さんの方はステッキをついているが、C子さんは元気で、2人で散歩している姿をよく見かける。散歩の途中で出会ったY子は、新入りの住人に声をかけて、どちらから来られましたか?と尋ねた。C子さんがこたえ始めた。

 実は、初めは東京に住んでいたんですが、10年ほど前に隣県のK市に家を建ててそこに移りました。そこが気に入って最期までいるつもりでいたんですが、長男がこの別荘地の近くに住んでいて、親の面倒は自分が見る、それには近いところに住んだ方がいい、こっちに移ってくるようにと言い、家も中古の山荘を探してくれまして、2か月前に越してきました。東京に娘が2人いますし、わたしは住み慣れたK市にいたいと思ったんですが、俺は長男で親を見る責任があると言ってきかないもんですから、従いました。車も前は持っていたんですが、年をとって事故でも起こしたら困るからと息子に言われてやめました。どこかへ行くときは息子が送ってくれますし、週に2回、息子が食材などを買ってきてくれます。

 C子さんは話しながらとても寂しそうだったと、Y子は言います。息子さんは親孝行のつもりでしょうが、何ともひどい話です。山荘が現代版姥捨て山になっているようで、聞きながらわたしはぞっとしました。長男だからというCさんの長男の、戦前の長男とかわりない古風さにも呆れます。また、それに従うCさん夫妻が哀れです。

 一見、リッチで優雅そうに見える山荘族のエレジーでした。