避難所の孤独に似たり南向きの待合室に付き添いもなく
病院の待合室。南向きだから暖かい明るい日ざしがいっぱいに入っているだろう。何人かの、あるいはたくさんの人々がそれぞれに病をかかえて言葉少なく影のように坐っている。人がいるのに、誰もいない。避難所というところは、そんなところだったと、あの寄る辺ない不確かなさびしさがよみがえる。
「たすけて」を「大丈夫!」に変え笑いたり災害強者だったあの日々
異常無しと診断されるばかりなり震災より続く月経不順
しばらくは経過観察とはいえど赤い数値を抱え雪道
三十歳(さんじゅう)で被災してより増えてゆく診察券だ角曲がりつつ
電柱の根元にタンポポ咲いていて 生命保険審査に落ちる
錠剤は雪の色からほのひなた色に半分に割る
二〇一一年、あの日からずいぶん経った。働いている。友だちと女子会もする。好きだった人を思い出す。料理を作る。以前と同じような日常だが、同じではない。体のどこかしらに深く罅がはいっている。回復不能の罅だ。どんなに普通らしく過ごしていても、ふと体の芯にすうっと罅割れがはしる。
こんな仕事こんな仕事と思いつつひと月居れば給料日来る
性に合う職種と思う現職の離職率九割とニュースに知りぬ
この部屋を出たいけれども ベランダの鉢に大葉の種を植えたり
非正規職員とか、派遣社員とか、こんなあからさまに労働力を搾り取るようなあこぎな時代が来るとは、わたしの若い頃には思いもしなかった。やっと「性に合う職種」に出会ったと思ったが、それは離職率九割。すぐ辞めて行くにはそれだけの理由がある。当たり、と思ったら大外れの籤。「こんな仕事こんな仕事」と思いながら日々を働くが、一ヶ月経つと給料日が来て何だかおさまる。「この部屋」から出たい。いまあるところから何とかあがいてでも出ていきたい。毎日そう思っているのに、鉢に大葉を植えたりなんかする。
教え子を二人孕ませ不倫までするから与謝野鉄幹きらい
やまたずの初潮を迎えしとき母に「いやらしい」とぞ吐き捨てられにき
「やまたずの」は「迎え」の枕詞。少し早い年齢で初潮を迎えたのだろうか。母親の「女」がぞっくりと顔を覗かせた。母親の「いやらしい」という言葉は、初潮を迎えた少女にはつらい。そう吐き捨てた母親の気持ちも理解できないではない年齢になったが、存在の汚れのようにそれは消えることがない。
こけしこけしこけしが欲しい胴をにぎり頭をなでて可愛がりたい
鄙なれば幼の夜泣きの声なども華やぎとして空に広がる
「にず」って何だろうと思った。読みすすむと「虹、虹と幾たび言えど通じぬを「にず」でようやく伝わる祖母に」という歌があって、「虹」のことだと知る。良い題だ。
(初出『にず』栞より、ご了解を得て転載いたしました)
◆書誌データ
書名 :にず
著者名:田宮智美
出版社:現代短歌社
刊行日:20/07/15
定価 :2000円+税
◆阿木津 英(あきつ・えい)
1950年、福岡県生まれ。歌人。短歌結社「八雁(やかり)」編集発行人。現代短歌にフェミニズム思想を導入し、女歌運動に影響を与える。
歌集に『紫木蓮まで・風舌』(第七回現代歌人集会賞)、『天の鴉片』(第二十八回現代歌人協会賞)、『黄鳥』、評論に『二十世紀短歌と女の歌』など。第二十二回短歌研究新人賞、第三十九回短歌研究賞受賞。