山の仲間に山の日程を知らせるmailをしました。
新しい仲間を紹介します。教え子の一人、周さんです。大学の先生をしています。online授業で家にいるのが続いて、息抜きに郊外の山に行ってから、山歩きに目覚めています。皆さんと一緒に歩きたいと楽しみにしています。
そして、当日都合のつく仲間たちが駅に集まりました。周さんを紹介しました。すると、一人の女性が驚きの声をあげました。
え? 周さんて女性だったの? 周恩来の周さんかと思い、大学の先生だっていうから、てっきり男性だと思っていた!!
新しいウエアとザックの周さんがにこやかに「はじめまして。どうぞよろしくお願いいたします」と、あいさつしていました。
いまどき、女性の大学教員もたくさんいるのに、大学の先生と聞くと、まず男性を思い浮かべる、こういう思い込みは困ったものです。力の強い女性もいるし、弱い男性もいるのに、男は力が強い、女は弱い、という思い込みも同じです。男とか女とかに関係なく、Aさんは強い、Bさんは弱い、でいいのです。
もうひとつ、今、とても気になっている「思い込み」があります。新総理大臣の菅さんに対する「思い込み」です。地方出身で新聞配達をして大学を卒業し、市会議員からたたき上げた苦労人と、メディアはどこも、大宣伝しました。
今まで世襲坊ちゃんや、お金持ちや官僚出のエリートがトップに立つことが多かった、根っからのたたき上げはいなかった。それで、みんなは喜びました。地位も財産もない庶民がこぞって支持したのでしょう。60%以上もの高い支持率を獲得しました。その中には、親の力も学歴もなくて今は苦労しているが、もしかしたら自分たちも、ああなれるかもしれないと夢を抱いた若い人もいたかもしれません。
でも、待ってください。菅さんは昔はたたき上げた人かもしれないけれど、今の菅さんは昔の苦労とは全く関係のない、最高位にいる最強の人その人です。
庶民の苦労を今も思うなら、まず第一に「自助」なんて言いません。もちろん、自分でできることは自分でするのが当然です。でも、それができない人はどうするのですか。福祉の世界では、「自助・互助・共助・公助」がセットとして考えられています。歩けなくなった人が一生懸命歩こうとする――それが「自助」です。それができない人に対する家族や地域の「本人の支え手」が「互助、共助」、介護予防サービスなどの国の介護施策が「公助」です(介護教科書からの慌て勉強です)。
菅さんは、「自助」だけ言って後のことは言いません。「自分でできることは自分でするのが当然だ。だから自分で努力してがんばってほしい」とだけです。これは強者の理論です。弱者のことは念頭にありません。誰だって、自分でできることは自分でしたいです。はじめから誰かにすがろうなんて誰も思ってはいません。でも、努力してもがんばってもできないことがあるし、できない人がいるのです。そういう立場の人のことは少しも考えていない。
さらに、菅さんは怖い人です。官僚に対する「政権に反対するなら異動してもらう」という発言が有名です。これは権力者の恫喝そのものです。自分の反対意見は一切聞き入れない独裁者の言い分です。もう、地方出身のたたき上げからイメージされる、苦労した正直者の姿はどこにも見当たりません。
ひたすら上を向いて、力のある人を必死に追いかけながらたたき上げてくる途中で、弱い立場の人や、自分と違う考えの人のことは忘れてしまったのでしょうか。そういう人のことを考えていたら、偉くなれなかったのでしょうか。
お金もない地方出身のたたき上げだから、世襲のおぼっちゃまより自分たちのことを思って政治をしてくれると、歓迎した人たちは甘すぎました。
「地方出身のたたき上げ」は苦労してきた人だから、困っている人、苦労している人のことがよくわかる、だから信頼できる、というのは大きな思い込みです。たたき上げの人が、誰でもいつまでも昔の苦労を忘れず、庶民の立場に立っているとは限らないのです。
2020.10.01 Thu
カテゴリー:連続エッセイ / やはり気になることば